ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2002年3号
特集
その後の物流ベンチャー 物流のマクドナルド化――ジャパンブリッジ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MARCH 2002 30 資金集めに奔走 ――売り上げの半分以上を占めていた携帯販売事業から 撤退して、業績は一気に赤字に転落しました。
携帯電話販売代理店の店舗閉鎖で多額の特損を計上し たからです。
二〇〇二年一月期の業績は売上高二五億円 に対して、赤字額がその一〇%くらい。
その前の年も赤 字。
正直にいって、この一、二年はとてもしんどかった。
――なぜ携帯電話事業から撤退したのですか。
この商売を始めた頃、まだ携帯電話はそれほど普及し ていませんでした。
ただし、年を追うごとにマーケットが 飽和状態になってきて、利幅も段々と薄くなってきた。
も ともと、物流会社出身だし、物流のほうが楽しい。
携帯 電話より市場規模も大きい。
そう見切りをつけて、携帯 から思い切って撤退しました。
――販売だけではなく、携帯電話の物流の仕事もありまし たよね。
それもやめたのですか。
携帯電話の在庫保管、受注、コールセンター運営、店 舗への配送といった業務を請け負っていました。
だいたい 月に一億二〇〇〇万円くらいの売り上げがあった。
これ が今ではほとんどなくなっています。
月一〇〇万円くらい しか残っていません。
――年間一四億円の仕事が吹っ飛んだわけですよね。
だから必死でしたよ。
先程、二〇〇二年一月期の売り 上げは二五億円だったと説明しましたが、その前年は携 帯電話関連以外の物流収入が十二億円だったんです。
つ まり一年間のうちに新規に十三億円分の顧客を開拓した わけです。
といっても営業で頑張ったのは社員たち。
私は この一年間、事業計画書を持って資金集めに奔走してい ました。
――どのくらい資金を集めたのですか。
資本金の変遷を説明すると、まず、携帯電話を手掛け ていた頃の資本金は五億四五万円でした。
それが二〇〇 一年五月の段階で九億六〇七万円になった。
そして現在 が十一億二三〇〇万円。
このほかに約十二億円資本準備 金があります。
最終的にトータルで二三億円集めたことに なります。
――どこに出資を仰いだのですか。
ベンチャーキャピタル、物流企業、上場企業のオーナー など様々です。
これだけ集められたのは物流というサービ スが今後も伸びていくと見ている方が多いからでしょうね。
しかも、小回りが利く軽トラは有望だと。
――銀行からの融資は。
担保がないでしょう? だから直接金融で集めるしかなかった。
――そんなに集めなければならないほど、追い込まれてい たのですか。
いいえ。
追い込まれたというよりは、早く理想とする物 流ネットワークを完成させたかったから資金が必要だった というのが正しい。
運転資金に窮していたというわけでは ありません。
借入金の返済も順調に進んでいました。
問題は利幅のあった携帯電話事業から撤退した影響で、 ネットワーク整備のための投資ができなくなってしまった ことでした。
携帯電話事業で稼いだ利益を物流のネット ワーク整備に注ぎ込んでいたのですが、それができなくな ってしまった。
そこで、とりあえず拠点展開や増車の計画 は一時凍結。
営業エリアを狭くして生産性を高めること に専念しました。
無理に拠点と車を増やして、荷物を動 かすと、赤字が膨らんでしまうだけ。
営業活動も自粛しま した。
物流のマクドナルド化 ―― ジャパンブリッジ 山崎隆 社長 「携帯電話事業の清算は終了。
物流に特化して再起図る」 ジャパンブリッジ 山崎隆 社長 ビジネスモデル 「物流工作」のブランドで東名阪を結ぶ軽ト ラックのネットワークを構築。
「大手宅配便会 社よりもはるかに安い料金でサービスを提供す る」ことをモットーに、重さ五〜一〇キロの小 型B to B貨物を中心に扱う。
業務のマニュア ル化を進め、セールスドライバーに女性アルバ イト社員を活用している。
沿 革 山崎隆社長は一九六七年生まれ。
佐川急便 を経て、九五年に携帯電話販売会社として「ジ ャパンブリッジ」を設立した。
携帯電話メーカ ーが販売会社に手厚いバックマージンを振る舞 った乱売合戦の最中で、同社も大きく利益を 上げた。
軽トラック事業に乗り出したのは、佐川時代 31 MARCH 2002 物流はインフラビジネスで、それを整備するのにものす ごくお金が掛かる。
しかし、整備したからといって、勝手 に荷物が集まるわけではない。
顧客を開拓するのには時間 が掛かる。
荷物のボリュームが出るまでの軍資金というの はどうしても必要です。
――赤字が続いたことで、社内に混乱は起きませんでした か。
携帯関連の社員は辞めていきました。
現在、従業員は 三〇〇人弱です。
ほとんどがドライバーで、管理職が少し。
「こんな安月給で赤字の会社、いつまで持つかわからへん で」といっても管理職の連中は誰も辞めなかった。
今期は売上高四〇億円で黒字も達成 ――資金も集まり、経営危機から脱したと考えていいので すか。
いいですね。
峠は越えました。
携帯の問題も片づいたし、 あとは物流で稼ぐだけです。
今年は営業を強化したい。
本 当は私自身がお客さんのところへ足を運びたいところなの ですが、それは営業マンたちに任せて、まずはドライバー の教育に力を注ごうと思っています。
――集めた資金で一気に全国ネットを構築するのですか。
まずは東名阪のネットワークを密にして、エリア内の軽 トラ一台当たりの生産性を高めることに重点を置きます。
例えば、一日に二万個の荷物を扱うとします。
この量で 利益を出すには最低でも東京二三区からの発送で一日一 万個くらい、大阪市内からの発送で七〇〇〇個くらいの 荷物を確保しなければならない。
同じ二万個を集めるとし ても、これ以上エリアが拡がると利益は出ません。
頭では 分かっているのですが、残念ながらまだ当社はそれが実現 できていない。
一つのエリアで扱う荷物のボリュームを出 すことが先決。
全国展開はまだまだです。
――営業ターゲットは。
ヤマト運輸や佐川急便は三〇キログラムまでの小口貨 物をターゲットにしている。
これに対して、当社はもっと ニッチに五〜一〇キロの荷物を狙う。
B to Bの貨物、例 えば部品やパソコン周辺機器などが対象になります。
――メール便の分野に参入する予定は。
当然、メール便も視野には入れていますが、まだとても 参入できる状態にはない。
もっともっとネットワークの網 の目を細かくしていかないと。
――メール便は軽トラックにはマッチする商品です。
利益 率も高い。
投げ込みであればものすごく儲かります。
ただし、判取 り(荷受時の受領確認)をやると、不在の持ち戻りが生 じるので極端に生産性が落ちてしまう。
おいしい部分はど の物流会社も狙っていますからね。
――小口貨物とメール便。
どちらも大手宅配会社と競合し ますね。
物流の多頻度小口化が進んでいくと、一商品当たりの 物流コストは高くなります。
これを何とか抑えたいという のが荷主企業のニーズです。
現在、荷物一個当たりの運 賃単価ってどのくらいかご存じですよね。
大手宅配会社 はこれ以上値段を下げることができないでしょう。
しかし、 軽トラであれば、大手宅配会社よりも低い運賃で運ぶこ とが可能です。
改めて株式公開に挑む ――軽トラといえばB to Cというイメージがありますが。
今の市場のニーズは確かにB to Cです。
実際、運賃三 〇〇円以下でB to Cをやってもらいたいから、早くネット ワークを充実させてくれ、という要請もある。
ただし、現 行のネットワークではとてもB to Cは無理です。
まずはB to Cの二〇倍の市場規模があって、生産性の高いB to B を攻める。
――以前は株式上場を目指していました。
今期の目標は売上高が四〇億円くらい。
経常利益は二 億円です。
それが達成できたら、上場を申請するつもりで す。
今年三月からは単月の収益で黒字に転換しますから、 目標達成には自信があります。
株式公開で調達した資金 はネットワークの整備に充てるつもりです。
に知り合った荷主、金型部品卸ミスミの物流 担当者に相談を受けたのがキッカケ。
それまで 納品に宅配便を利用していたミスミは無梱包 配送による物流サービスの差別化を狙っていた。
これを受けてジャパンブリッジが軽トラック三 台を購入したことから事業がスタートした。
その後、携帯ビジネスで得た利益を拠点や車 両の費用に充てることで、物流ネットワークを 整備してきた。
二〇〇〇年一月期には売上高 二三億円まで成長し、二〇〇一年の株式公開 を計画していた。
ところが、その後、約一〇% の出資を受けていた光通信の経営が混乱。
携 帯事業の環境が急変した。
さらにITバブルの 崩壊が追い打ちをかけた。
二〇〇〇年四月に携帯電話事業から撤退。
物 流事業に特化して再出発を図っている。
二〇 〇〇年八月には福山通運と提携。
共同で商品 開発に取り組んでいる。
http://www.japanbridge.co.jp/ 特集その後の物流ベンチャー ジャパンブリッジの大阪支店。
もともと酒類卸の配送センターだった ものを改装した 支店内の小分け室。
小さな部品などを この部屋で仕分けする

購読案内広告案内