ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2005年4号
特集
実録!中国物流 日本通運――中国のプロが伝授する人心掌握術

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2005 12 日本通運――中国のプロが伝授する人心掌握術 日系企業の物流マンたちは文化や習慣が異なる現地中国 人のマネジメントに四苦八苦している。
彼らのやる気を引き 出すにはどうすればいいのか。
香港、大連、北京、上海を渡 り歩き、現場の実態を知り尽くしている日通の中国物流のエ ースがそのヒントを教えてくれた。
(刈屋大輔) 中国物流の駆け込み寺 中国国内の物流網整備で三菱商事との業務提携を 発表するなど中国シフトを加速させている日本通運。
同社には中国物流のことなら何でも知っている?生き 字引〞的な存在の社員がいる。
内舘均。
今年で入社 三〇年目を迎えるベテラン社員だ。
現在はアジア・オ セアニア地域総括室の中国室長として上海に派遣さ れている。
日通のある社員はいう。
「内舘さん? もちろん知 っていますよ。
社内では『中国物流のプロ』として通 っています。
上司からは『中国絡みの案件で困ったこ とがあったら、内舘さんに相談するように』と言われ ています。
内舘さんは中国物流の駆け込み寺。
とても 貴重な存在です」 しかし、当の本人はこうした社内での評判に少々困 惑している様子だ。
「中国ビジネスに携わるようにな って今年で二二年になりますが、実は自分から志望し て中国担当になったわけではないんです。
若い頃は米 国に赴任したかった。
米国のブルーグラス音楽が大好 きで、学生時代にはバンドを組んでバンジョーという 民族楽器を弾いていました。
米国駐在になれば、本場 の音楽を思う存分楽しめると期待していました。
英米 文学部出身で英語も得意でした」 青山学院大学を卒業後、七五年に日通に入社した。
最初に配属されたのは横浜海運支店。
そこでの仕事は 北東アジア諸国と欧州および中央アジアをシベリア鉄 道経由で結ぶ複合コンテナ貨物輸送「シベリア・ラン ドブリッジ」の横浜港〜ナホトカ港間の海上輸送の手 配だった。
欧州航路のスピード化に伴い、「シベリア・ ランドブリッジ」は現在衰退の一途を辿っているが、 当時は北欧から日本に家具やサウナが運び込まれてき たり、逆に日本からは機械製品が輸出されるなど荷動 きも活発だったという。
最初に中国に赴任したのは八三年だった。
場所は 香港(当時は英国領)で、九〇年まで約七年間駐在 した。
折しも当時は日系の電機メーカーが深 や広 州に相次いで進出した「第一次中国ブーム」。
これに 合わせて日通も華南地区で物流拠点の整備を進めて いた。
工場で使用する設備や部品を日本から現地へ 運んだり、完成品を日本に輸出する業務に従事した。
香港時代は七年間で計三〇〇回、香港〜深 、広州 間を往復するほどのハードな毎日を送った。
香港を皮切りに、その後は中国各地の現地法人を 転々とすることになる。
途中で二度の日本への転勤 をはさみながら、大連、北京、再び香港、そして上海 と渡り歩いた。
中国駐在はすでに計一六年に達して いる。
これまでの中国駐在のうち、特に印象が残って いるのは九四年から約三年間を過ごした大連の時代 だという。
「いまでこそ大連は中国有数の近代都市に成長して いますが、当時はまだまだ田舎でした。
日通が拠点を 構えている開発区のあたりではまだロバが歩いていま した。
大連時代に一番大変だったのは食料品の調達 です。
外資のスーパーなんて一軒もありません。
地元 の自由市場なんかにも足を運びましたが、『これ本当 に食べられるのか』と思うようなものが並んでいたり して。
北京に出張で出掛ける時には大きなトランクを 持っていき、チーズや納豆などを大量に買い込んでい ました」 中国ビジネスには欠かせない中国語は最初の香港時 代に広東語をマスター。
公用語である北京語は日本 勤務時に週に二回、会社帰りに語学学校に通って習 得した。
中国でキャリアを積んでいくにつれ、入社時 第2部 現地駐在員たちの悪戦苦闘 13 APRIL 2005 特 集 に抱いていた米国駐在の夢も徐々に薄れていった。
中国人のメンツを立てる 現在、日通は中国の二三都市に一八現地法人、計 六〇カ所の拠点を構え、ビジネスを展開している(昨 年十二月末時点)。
社員数は約三八〇〇人。
このうち 約三七〇〇人は現地採用の中国人だ。
日本人と中国 人は同じアジア人で、外見は似ているものの、文化や 習慣がまったく異なる。
それだけに現場で働く社員た ちをマネジメントする日本人駐在員にはいつも苦労が 絶えない。
「現場がうまく機能しない」と相談に訪れる日本人 駐在員たちに対しては「中国人のメンツを立ててあげ る」ことを勧めている。
仕事上でミスがあっても大勢 を前にして頭ごなしに怒らない。
馬鹿にしない。
これ こそが中国でビジネスを成功させるための鉄則だと確 信している。
「例えば、上海から北京までトラックで荷物を運ぶ 仕事があるとしましょう。
下請け業者の中国人が見積 もりを提出してきたが、あまり条件がよくない。
そん な時でも『こんな提案では任せられないよ』といって バッサリと切り捨ててはいけません。
『とてもいい提 案だけど、ちょっと運賃が高いね。
輸送時間ももう少 し短くすることは可能かな? 三日間だけ時間をあげ るからもう一度検討してみて』と対応するのがベター です。
こうして相手のメンツを立ててあげると、彼ら は次にもっといい提案を出してきます」 「日本人駐在員の役目は中国人にとって仕事がしや すい職場環境を整えてあげることです。
日本人駐在員 が前面に出て仕事を進めていく必要はない。
現地の社 員だけでも拠点が機能していくような体制を構築する のが理想です。
日本人駐在員はマネジメントに徹すれ ばいい。
現地の社員が困っている時に適切なアドバイ スを与える。
それが日本人駐在の仕事です」 中国の現地法人を統括する立場として、当面のテ ーマは大きく分けて二つある。
一つは中国各地に分散 している現地法人を整理していくことだ。
現在、日通 では規制やライセンスの関係で中国に計一八の現地法 人を用意している。
中国企業との合弁となっている現 地法人の独資化を進めていくと同時に、香港日通を 傘会社に、そしてその下に既存の現地法人を支店(分 公司)として配置していくかたちに組織を見直す計画 だという。
もう一つは中国内陸部の拠点網の拡充だ。
WTO 加盟で外資企業にも「内販権」が認められたことで、 荷主企業は中国を「世界の工場」としてだけではなく、 「巨大な市場」と捉えるようになってきた。
それに伴 い、日中間の物流に加えて、中国国内における物流の ニーズも徐々に高まっている。
冒頭でも紹介したように、日通は中国国内の物流網整備で三菱商事と業務提携した。
これによって日 通は日系物流企業としては屈指の国内物流網を手に 入れることになった。
しかし、ネットワークはまだま だ不十分。
今後も引き続き内陸部の拠点整備を進め ていく考えだ。
「経済発展を遂げた沿岸部では制度や規制の透明化が 徐々に進んでいます。
しかし内陸部ではいまだに役人 個人による裁量行政が根強く残っています。
かつて沿 岸部では役人と一緒に食卓を囲んでコミュニケーショ ンを図ることが日本人駐在員たちにとって大切な業務 の一つでした。
内陸部への進出を加速させるにあたっ て新たな人脈づくりが必要になるかもしれません」 現場を知り尽くした中国物流のエースはさらなる活 躍を期待されている。
(=文中敬称略) 香港日通 41 4 878 923 4 71,600 7 大連日通外運物流 4 2 149 155 2 19,395 3 上海通運国際物流 11 1 411 423 5 25,100 10 日通国際物流(深 ) 4 ― 325 329 3 31,806 2 世裕管理 ― ― ― ― ― ― ― 天宇客貨運輸 16 4 1,008 1,028 16 26,430 20 日通国際物流(珠海) 3 ― 114 117 5 23,434 3 上海e−テクノロジー 1 ― 167 168 ― ― 2 日通儲運(深 ) ― ― 94 94 1 5,857 1 蘇州日通国際物流 3 ― 273 276 1 10,000 4 日通国際物流(上海) 2 1 69 72 1 8,263 1 日通国際物流(廈門) ― ― 45 45 1 2,758 1 日通珠海儲運 ― ― 7 7 1 2,400 1 日通倉儲(嘉興) 2 ― ― 2 ― ― 1 大連日通機器製造 3 ― 113 116 ※1 ※7,462 1 日通商事(武漢)倉儲 1 ― 1 2 ― ― 1 日通商事(香港) 2 ― ― 2 ― ― 1 上海駐在員事務所 1 ― 3 4 ― ― 1   合    計 94 12 3,657 3,763 40 227,043 60 ●日本通運の中国現地法人(2004年12月末時点) 駐在員数 研修員数 現地社員数 社員数合計 倉庫数 倉庫面積(m2) 拠点数 会社名 ※倉庫数、面積合計に大連日通機器製造は含まず(工場のため) 日本通運 アジア・オセアニア 地域総括室 内舘均 中国室長

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