ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2004年8号
判断学
帝国論』をどう判断するか

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 第27回『 帝国論』をどう判断するか AUGUST 2004 64 イラク戦争以来“帝国”議論が特に盛んだが、解明のカギは企業や経済のグ ローバリゼーションにある。
アメリカ帝国はこのまま支配を続けるのか、ある いは別の帝国が出現するのか、日本の将来はそこにかかっている。
「帝国論」ブーム 「アメリカは帝国としての政策を堂々と打ち出すべきだ」 ――こんな主張がアメリカの新聞雑誌にしばしば登場してい る。
いわゆるネオ・コン(新保守主義者)といわれる人たち だけでなく、学者や評論家でそのような主張をする人が多い。
「帝国」といえばこれまで大英帝国や大日本帝国のことだ と思い、それは侵略と戦争をイメージするのが普通で、それ は打倒すべきものと考えていた人が多いが、そういう人たち にとって最近の帝国論ブームはなんともやりきれない気分に させられる。
帝国論が盛んになったのは湾岸戦争、そしてアフガニスタ ン攻撃のころからだが、それが決定的になったのはイラク戦 争からである。
アメリカは世界を支配する帝国としてイラク、イラン、北 朝鮮などの「ならずもの国家」を征伐すべきである、アメリ カ製の民主主義を世界中に軍事力で強制していくべきであ る――と言うのである。
このような右翼からの主張に対し、不思議なことに左翼 からも似たような議論が出ている。
アントニオ・ネグリとマ イケル・ハートが書いた『帝国』という本が二○○○年に 出版され、日本でも以文社から翻訳が出ているが、この本 のなかで彼らは、今後、帝国としての政策を堂々と打ち出 す必要があるという。
ただ、右翼と違うのはその帝国を支えていくのはマルチチ ュード(大衆)であるというところである。
アントニオ・ネ グリはイタリアの新左翼思想家で、デモに加わって逮捕され ている。
それにしても左翼からも帝国論が出てきているというとこ ろに時代の大きな変化を感じる。
日本でもこの本はよく読ま れているようだが、極めて抽象的でわかりにくい本だ。
私は 原書と翻訳で二回読んだが、いまだにその主張の正体がよ くわからない。
「帝国主義論」への批判 帝国といえばすぐに帝国主義を連想するのが普通だろう。
そして帝国主義といえば、すぐにJ・A・ホブソンの『帝国 主義論』(岩波文庫)と、レーニンの『帝国主義』(同)を 思い出すだろう。
いずれも帝国主義論の古典とされているが、資本主義国 は植民地を求めて競争し、そのため植民地再分割のための 帝国主義間の対立、そして戦争が不可避であるという議論 である。
そしてレーニンは帝国主義は資本主義発展の最高 の段階であるとした。
このような主張に対して左翼のなかからも批判が出ており、 レーニンの帝国主義論は少なくとも第二次大戦後には通用しないという議論が出ている。
さらにレーニンは一九世紀末 になって資本主義は帝国主義になったと言うが、それ以前 から帝国主義になっていたという歴史家の批判もある。
イギリスの歴史家P・J・ケインとA・G・ホプキンズ が書いた『ジェントルマン資本主義の帝国』(名古屋大学出 版会)などがそれだが、「帝国主義は資本主義の最高の段階」 というレーニンの規定はもはや通用しなくなっている。
それ以上に問題なのは帝国の最大の特徴を植民地再分割 に求めている点だ。
それでは第二次大戦後、植民地独立が行われたために、も はや帝国はなくなったということになる。
また、アメリカは 独立後、一時的にキューバやフィリピンを植民地にしたこと はあるが、第一次大戦や第二次大戦を、植民地再分割のた めにアメリカが戦争したのだとはいえない。
このことは現在のアメリカ帝国を理解するためにも重要な 問題だ。
アメリカはベトナムを植民地にしようとして戦争し たのではないし、アフガニスタンやイラクを植民地にしよう としているのでもない。
もちろんイラクの石油資源獲得が戦 65 AUGUST 2004 問題は多国籍企業の解明 グローバリゼーションに対してはアメリカの経済学者の間 でも真正面から対立する議論がなされている。
インド生まれ でコロンビア大学教授として有名なJ・バグワッティは『グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン を 弁 護 す る 』("In Defense of Globalization" Oxford Univ Pr )という本を書いてグローバ リゼーションを進めるべきだと主張している。
これに対しノーベル経済学賞をもらった同じコロンビア大 学教授のJ・スティグリッツは『世界を不幸にしたグローバ リズムの正体』(徳間書店)でこっぴどくグローバリズムを 批判している。
もっとも、スティグリッツの批判はIMFや 世界銀行、WTOなどのような国際機関に対してであり、多 国籍企業そのものを批判しているとはいえない。
現在のアメリカ帝国を支えているのはまさに多国籍企業 であり、その利益のためにアメリカ政府や議会に働きかけて いる。
その多国籍企業の分析こそは現在の帝国論の基本な のだが、これに対する分析はあまりなされていない。
もちろんクリントン政権やブッシュ政権の政策を解明して いくことがアメリカ帝国の解明につながっていくが、それだ けでは基本の構造がわからない。
いま帝国論は百花繚乱というよりも、百人百様の議論で、 定説などどこにもない。
それだけに研究するには面白いテー マなのだが、そんな悠長なことを言っている段階ではないの かもしれない。
イラクや北朝鮮がこれからどうなっていくのか、日本の将 来がどうなっていくのか。
これらはすべてアメリカ帝国がど うなっていくのかということにかかっている。
アメリカ帝国 はいまローマ帝国末期と同じような状況にあるのか、それと もなお世界を支配し続けるのか、あるいはアメリカに対抗す る帝国がヨーロッパ、あるいはアジアに生まれてくるのか。
それが最大の問題だ。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『判断力』(岩波新 書)。
争の大きな原因だが、それは植民地化が目的とはいえない。
グローバリゼーションの流れ 現代の帝国論にとって大きな問題はグローバリゼーション で、これが帝国論を解くカギになっている。
商品の国際的流通は昔からあったが、資本が国際化して 動くということは一九世紀から二〇世紀はじめにかけて盛ん になった。
しかし第二次大戦後、とりわけ一九六○年代ごろから盛 んになったのはいわゆる多国籍企業の活躍である。
国際的な資本移動としては証券投資と直接投資という二 つの形態があるが、前者が単に資金の貸付や債券、株式へ の投資というのに対し、後者は外国の会社の株式を取得す ることによって経営支配権を握るというものである。
また、 外国に子会社を設立するという形もとる。
これを盛んに行うことによって企業の国籍が多国籍になる ところから多国籍企業と呼ばれるようになった。
しかし、そ の多国籍企業の多くはアメリカ系の会社で、GMとかフォ ード、GEとかIBMなどのようにアメリカの会社が多国籍 企業になったものである。
もちろんイギリス系やオランダ、 スイス系の多国籍企業もあるし、フランス、ドイツ系の多国 籍企業もある。
ともあれ多国籍企業によるグローバリゼーションが進むと、 市場の維持拡大が目的になるから、戦争には反対する。
そ こでレーニンの言うような帝国主義国間の戦争不可避とい う議論は通用しなくなる。
グローバリゼーションは帝国主義 間の戦争よりも市場の安定をこそ求める。
こういう議論が出てきているのだが、これに対して最近翻 訳の出たE・M・ウッドの『資本の帝国』(紀伊國屋書店) のように、いくらグローバリゼーションが進んでも資本は国 家と離れられないどころか、ますます国家の役割が大きくな っているという反論もある。

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