ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年4号
ケース
東芝コンシューママーケティング――拠点集約

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

45 APRIL 2004 在庫が増えない仕組み 日立製作所、東芝、三菱電機という大手総 合電機メーカーのなかで、こと在庫削減に関 しては東芝が一歩先行した感が強い。
五年前 にほぼ同レベルだった三社の棚卸し資産回転 期間(連結ベース)は、現状ではかなりの差 がついている。
約一〇年前から東芝が全社レ ベルで取り組んできた成果といえる。
多岐にわたる東芝の事業のなかで、とりわ け在庫に厳しく臨んできたのが家電事業であ る。
日本の家電メーカーの一九八〇年代まで の在庫に対する姿勢は、かつて松下電器産業 が追求した「水道哲学」に象徴されるように、 大量生産した製品を中間流通に蓄え、これを 無尽蔵に川下に供給していくというのが主流 10年越しで進む家電事業の再構築 在庫削減と物流拠点の集約を断行 市場の変化に対応するために組織再編を 繰り返し、昨年10月、東芝本体から家電事 業を完全分離した新会社として再スタート を切った。
組織の見直しとともに、在庫削 減と物流ネットワークの刷新も推進。
ピー ク時に全国230カ所に上っていた物流拠点を、 東西2カ所に集約しようとしている。
東芝コンシューママーケティング ――拠点集約 図1 総合電機3社の在庫水準の推移 2.40 2.20 2.00 1.80 1.60 1.40 1.20 日立 東芝 三菱 98/3 99/3 00/3 01/3 02/3 03/3 棚卸資産回転期間(カ月) APRIL 2004 46 だった。
しかし、モノ余りの時代が到来し、家電販 売の主役がメーカー系列店から量販チェーン にシフトしたことで、家電メーカーの販売戦 略は転換を迫られることになった。
メーカー 各社は、過去に築き上げてきた系列販売網と、 それを支えるために全国に配置していた在庫 拠点の統廃合を余儀なくされ、これを見直す 動きを九〇年代に一気に加速した。
もっとも家電を主業とする松下やソニーが 九〇年代前半から手を打ってきたに対し、総 合電機メーカーの当初の動きは鈍かった。
複 数の事業で互いの業績変動をカバーし合う収 益構造が、家電事業の危機感を薄めてしまっ たためだ。
東芝の家電事業の物流にとって転機は九五 年に訪れた。
このとき同社は、それ以前には 販売会社にあった流通在庫の所有権を、東芝 本体に移した。
メーカーと販社がそれぞれに 在庫を持つことで発生していたムダを廃し、 本体主導で物流効率化を進めるという意志の あらわれだった。
その後、家電製品の在庫は狙い通り大幅に 減った。
九五年に二カ月分近くあったのが、 二〇〇〇年の段階でほぼ半減。
現在は約二〇 日分と、九五年に比べると約三分の一になっ ている。
現実に在庫が急減した時期は、全社 的な物流プロジェクトに取り組んだ九八年く らいからだが、このときに東芝が採った手法 はかなり強引なものだった。
現在、東芝グループの家電事業会社である 東芝コンシューママーケティング(東芝CM) で物流統括責任者を務める清水英範執行役 員は、当時の様子をこう述懐する。
「在庫残高が多いと、新しい製品を生産す ための部品購入の資金枠が凍結されてしまう 仕組みだった。
こうなれば、もう作りようが ないため在庫は増えない。
かなり厳しい締め 付けがあった」 販売側にとっては、売れ筋製品の供給すら ストップしかねない荒療治である。
販社とし ても、自ら進んで在庫圧縮に取り組まざるを 得なくなり、損失も覚悟しながら過剰在庫の 解消に奔走した。
過去に?アクセルはあるが ブレーキのない生産ライン.と揶揄されるこ とすらあった電機業界の取り組みとしては、 特筆すべきものといえるだろう。
大幅な在庫圧縮に成功した背景に、経営陣 の意識の高さがあったことも見逃せない。
九 五年に東芝の社長だった佐藤文夫氏は、九六 年には東芝の会長として日本ロジスティクス システム協会(JILS)の会長職に就いて いた。
この時期の東芝の経営陣には、他にも 過去に物流部長を経験した役員がいるなど物 流分野を注視する雰囲気があった。
こうした 首脳陣の後押しがあったからこそ、ライバル に先駆けて在庫を減らすことができたのであ る。
販社を全国統合し後に完全分社化 在庫削減の取り組みと併行して、家電販売 ネットワーク自体の見直しも進めた。
およそ 二〇年前のピーク時には、東芝は国内に一万 三〇〇〇近くの系列店を構えていた。
それが 現在では約八〇〇〇店まで減り、東芝グルー プの一員として実質的に機能している系列店 となると三〇〇〇程度でしかない。
家電事業 全体に占める系列店の売上構成比も一六、 七%に過ぎず、総売り上げの七割以上は量販 チェーンによってもたらされている。
量販チェーンの台頭は、家電メーカーに一 貫して二つの要求を突きつけてきた。
バイイ ングパワーを背景とする売価の引き下げと、 小売り専用センターへの納品に代表されるオ ペレーションの見直しである。
さらに一部の 地域チェーンが成長して全国化した結果、メ ーカー側が全国を一元管理する営業窓口を社 内に設置する必要にも迫られていた。
東芝の家電事業の在庫拠点は、過去に最も 多かったときには全国に二三〇カ所に上った という。
都道府県や主要都市ごとに地域販社 「できれば2年後に在庫拠点を2カ 所にしたい」と東芝CMの清水英 範執行役員 47 APRIL 2004 を置き、それぞれに商物一体のビジネスを展 開していた頃の話である。
さすがに九五年の 時点では、大型拠点の数は全国二〇カ所まで 減っていた。
しかし、拠点配置は依然として 地域販社の数に応じて配置されていて、全国 を一つの市場としてみたときの理想的な物流 ネットワークとはほど遠い状態にあった。
九五年当時の東芝は、本体のなかに家電事 業部門を持ち、そこに連なる系列企業として ライフエレクトロニクス(LE)という名称 を冠した地域販社を全国に十数社展開してい た。
東芝本体の事業部門のなかの「LE営業 統括部」が、販売ネットワーク全体を束ねる ヘッドクオーターという位置づけである。
LE営業統括部としては、当時から各販社 の担当エリアを超えて物流効率化を進めたい 意向を持っていた。
しかし、製品在庫の所有 権をメーカーに移したとはいえ、独立法人で ある各地の販社はそれぞれ独自に倉庫を運用 していた。
物流現場では、倉庫業者との契約 や、作業員の雇用問題など、簡単には物流拠 点を集約できない事情も抱えていた。
こうした状況に配慮してLE営業統括部は、 物流効率化に先行して、地域販社のエリア分 担そのものの見直しを進めた。
本稿でも、ま ず先に家電事業の販社体制の変遷から説明す る必要があるだろう。
九〇年代後半の東芝は、家電販売体制の 最適案を決めかねて、全国の販社の数を一〇 社体制にしたり、十二社体制にするといった 試行錯誤を続けていた。
一方で大手量販チェーンからは全国レベルの営業窓口の拡充を求 められていたのだが、最適解はなかなか見つ からなかった。
この時期の東芝は、家電事業をどうすべき なのかという根本的な検討を重ねていた。
結 局、「いっそうのこと全国のLEを一社にし てしまった方がいい」(清水執行役員)とい う結論に到達。
二〇〇一年一〇月に、全国の 主要販社を一社に統合した「東芝ライフエレ クトロニクス(東芝LE)」を発足した。
こ の時点で地域販社の集約は行き着くところま できたわけだ。
さらに二年後の二〇〇三年一〇月には、東 芝本体の中にあった家電機器カンパニーの完 全分社化を断行。
これを東芝LEと統合し、 新たに年商七六〇〇億円規模(連結ベース) の新会社、東芝CMの発足へと進んだ。
この とき「東芝家電製造」という白物家電の製造 子会社も新会社の傘下に置き、東芝本体の中 からは家電事業に関する実働部隊が一切、姿 を消すことになった(図2)。
これによって東芝の家電事業は、他事業と のもたれ合いから脱却し、単独で採算を追求 することが組織面からも明確になった。
急展 開した組織再編の背景には、地域販社を一本 化しただけでは東芝の家電事業は生き残れな いという強い危機感があった。
時間をかけた拠点集約で成果 話を九八年に戻す。
販社ネットワークの見 直しを進める一方で、在庫削減と物流拠点の 見直しを軸とする物流効率化も急務だった。
長らくLE営業統括部で物流管理に携わり、 現在では東芝CMの情報・物流システム部に 所属している大賀透参事は、当時の取り組み を次のように説明する。
「九八年からの物流プロジェクトでは、売 り上げの計上方法から返品の手順に至るまで、 工場から出ていくモノの流れに関して全面的 にメスをいれた。
こうした物流全般の見直し 95年 2001年10月〜 2003年10月〜 図2 家電販売体制の変遷 LE営業統括部 家電事業部 LE営業統括部 家電機器カンパニー 東芝首都圏LE 東芝中部LE 東芝関西LE 東芝ライテック 東芝キャリア 東芝LE 東芝CM 担当エリアの家電販売店 担当エリアの家電販売店 担当エリアの家電販売店 ※東芝特販LEと沖 縄東芝は統合対 象から除外 (一体運営) 全国の家電販売店 全国の販売店 東 芝 本 体 グループ会社 顧  客 ※LE=ライフエレクトロニクス CM=コンシューママーケティング … … … APRIL 2004 48 と、在庫削減を同時進行していたため、どち らが先行したかを答えるのは難しいのだが、 二〇〇〇年の段階ですでに在庫は半分くらい に減っていた」 このときのプロジェクトでは、全国一六カ 所の家電製品の在庫拠点を二〇〇三年までに 六カ所に減らす拠点集約にも着手した。
その 具体的な作業は、まず「東芝首都圏ライフエ レクトロニクス」(首都圏LE)の域内でス タートした。
まだ地域販社があった九八年の時点で、首 都圏LEは全国売上高の三割以上を占める国 内最大の販社だった。
一都七県をカバーして おり、過去の経緯から域内に六カ所の在庫拠 点を構えていた。
これをまず二カ所に集約し ようという計画である。
東芝CMの清水執行役員は、この首都圏L Eの物流責任者として実際に拠点集約にあた った経験を持つ。
当時、東芝本体と販社の利 害は必ずしも一致していなかったようだ。
「東芝本体は拠点の集約という基本方針を 掲げていた。
同時に販社の立場では、拠点か ら顧客までの二次配送費を削減したいという 気持ちもあった。
拠点を減らせば輸送が長く なるため、下手をすると配送費は上がってし まう。
配送車の効率的な運用などを工夫する 必要があった」(清水執行役員) 九八年四月にまず二拠点を閉鎖したときは、 手狭になりつつあった倉庫を大規模拠点に集 約するだけで比較的容易だった。
翌九九年に、 瀬谷(神奈川)の拠点を、東扇島(同)に集 約したときも、両拠点の距離が近かったため 大きな問題はなかった。
しかし、二〇〇〇年 に川越(埼玉)の拠点を、柏(千葉)に集約 したときには、配送距離の伸びに対応するた め途中にターミナル(積み換え)拠点を設置 する必要が生じた。
その後は二〇〇一年の販社の全国統合を経 て、全国規模で在庫拠点の集約を進めていっ た。
だが集約対象の倉庫が遠隔地に立地して いて、施設規模も大きくなってくると、在庫 の移動一つとっても簡単ではない。
まずは回 転率の高いA、Bランク商品を移し、このオ ペレーションが軌道に乗ってからCランク商 品を移すといったステップを踏んだ。
さらに倉庫業者との賃貸契約や、現場の従 業の労務管理の問題もあった。
清水執行役員 は、「この部分を担当している東芝物流は四 苦八苦でやっていたはず」と明かす。
東芝ほ どの大企業になると、社会の目もあって急激 なリストラは難しい。
従業員の自然減や、倉 庫契約の満了などを待ちながら拠点集約を進 めていった。
時間をかけた甲斐あって、大きなトラブル もなく集約作業は進んだ。
計画していた通り、 東芝CMが発足した二〇〇三年一〇月の時 点での拠点数は六カ所まで減少。
まだ集約作 業の途上ではあったが、とりあえずスケジュ ール通りの進捗を確保していた。
売価下落が迫る更なる合理化 もっとも、この間にも市場の変化は続いて いた。
存在感を増す一方の量販チェーンの影 響や、中国や東南アジアの家電メーカーの台 頭によって、家電製品の価格競争はさらに激 化。
過去一〇年間に大規模な変革を進めてきた東芝だったが、販売の最前線からのコスト ダウン要請は東芝側の対応を上回るスピード で強まっていた。
こうした事情があったため、二〇〇三年に 家電事業を完全分社して東芝CMを発足した とき、東芝グループは効率化の枠組みを大幅 に広げた。
照明機器事業を手掛ける東芝ライ テックや、空調機器事業を手掛ける東芝キャ リアなど、家電事業の周辺領域を新会社の管 理下に置いて、一体的に運営することで更な る効率化を目指すことを決めたのである。
対象事業を拡大することによる効率化の余 地は、とくに物流分野に大きい。
東芝の家電 事業はこれまで、究極的に在庫拠点を東西二 カ所に減らすことを目指して集約作業を続け 「在庫を半減させる取り組みの柱 の一つとして拠点を減らした」と いう東芝CMの大賀透参事 49 APRIL 2004 ていた。
前述した通りすでに六カ所まで減っ てはいたが、ここに従来は単独で物流を手掛 けてきた東芝ライテックなどの在庫拠点を加 えると、全国の在庫拠点の数は再び一六カ所 になってしまった。
東芝CMの発足を決めた二〇〇三年春から、 この新たな物流効率化をどう進めるかを巡って、関係者は約半年間の物流プロジェクトに 臨んだ。
改めて拠点集約のシミュレーション を繰り返し、対象領域を広げても、理屈上は 二カ所まで集約できるはずという結論にたど りついた。
同時に、周辺事業まで巻き込んで 東西二拠点体制を実現できれば、大きな成果 につながることも確信した。
同プロジェクトの責任者でもあった清水執 行役員は、「東芝LEのときと比べると物量 は一・五.一・八倍に増える。
まずはこの物 量をオペレーションの競争力につなげていく。
将来的に二拠点体制を実現できれば、国内生 産する製品の在庫水準を、理想的には〇・三 カ月分、一〇日分くらいまで圧縮できる可能 が出てくる」と意気込む。
過去の拠点集約のスピードから考えると、 この作業にも長い時間を要するようにも思え る。
だが今後の集約は、販社の扱いに苦慮し てきたこれまでとは根本的に違って、東芝ラ イテックなどの物流を、家電の物流インフラ に一方的に取り込んでいく意味合いが強い。
そもそも似たような顧客に対して、まったく 異なる物流網を使って届けていたこと自体が ムダだった。
その意味で拠点集約は比較的進 めやすいはずだ。
だからこそ清水執行役員も、「最短で二年 後に二拠点体制を実現したい。
少なくとも四 拠点(北海道、関東、関西、九州)までは減 らせるはず」とにらむ。
そして、ここまで拠 点数を絞り込めば、在庫拠点には回転の早い 製品だけを置いて、回転の遅い製品は工場倉 庫に備蓄するような体制でも、市場からの要 請に応えられると見込んでいる。
新会社は東芝グループの物流子会社である 東芝物流との調整にも、以前は考えられなか った厳しさで臨んでいる。
これまで東芝グル ープの企業にとって、東芝物流の活用はいわ ば暗黙の了解で決まっていた。
だが東芝CM が発足したときには、端から東芝物流に決め ていたわけではなかった。
まず新会社が目指 す物流のあり方を提示し、それを実現するた めのパートナーとして複数の物流事業者の中 から東芝物流を選んだのだという。
こうして多くの施策を積み上げてきた東芝の家電事業だが、前途は甘くない。
昨年一〇 月に発足したとき、東芝CMは初年度から 二%程度の営業利益を確保することを見込ん でいた。
しかし、家電製品の価格競争は相変 わらず熾烈だ。
このことが東芝CMの売上高 の伸び悩みとしてあらわれており、目論んで いた通りに営業利益を確保するのは厳しい状 況にある。
「物流効率化の成果が明らかになるのは二 年目以降の話。
我々にとっては、今が本当に 正念場だ」と清水執行役員はいう。
過去の成 功体験を断ち切って、東芝CMは経営の仕組 みをムダのないものに変えられるのか。
総合 電機メーカーの家電事業の行く末を占う試金 石となりそうだ。
(岡山宏之) 流通在庫(販売会社が管理している製品在庫)の所有権を、全面 的にメーカー所有に移管した。
東芝本体にとっては、それまでの グループ内取引による売上計上を廃し、外部取引に切り替えた格好。
全国8社の販売会社を統合し、東芝ライフエレクトロニクス(LE) を発足。
東芝本体の「LE営業統括部」が戦略面を負うという役割 分担ながら、中間流通における販売窓口の全国一本化を果たした。
本社の家電機器社を分社し、東芝LEと統合して東芝コンシューマ マーケティング(CM)を発足。
同時に、東芝家電製造は東芝CM の子会社となり、東芝本体から家電事業を完全に分離。
関連事業も含めて在庫拠点の東西2拠点(関東・関西)体制を目 指す。
ただし、最終的に北海道と九州の拠点を撤廃するかどうか は未定。
今後2年間で検討を重ね最善策を探る方針。
家電事業だけで 全国20カ所 同10カ所 合計16カ所 (家電事業6) (関連事業10) 合計2〜4カ所 時期 内容 物流拠点数 1995年 2001年  10月 2003年 10月 約2年後 (計画) 図3 東芝の家電事業を巡る主なできごと

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