ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2012年5号
判断学
第120回 大きくなりすぎた会社 ──ソニー、パナソニックの悲劇──

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 MAY 2012  64          ソニーの悲劇  ソニーといえば戦後日本の高度成長を代表する企業とされ てきた。
そのソニーが今や危機に陥っている。
二〇一二年三月 期決算では四期連続の赤字になる予想で、七年間ソニーのトッ プを務めてきたハワード・ストリンガー社長兼CEOが辞任し、 四月一日から平井一夫副社長が社長兼CEOになることを発 表している。
 ソニーが赤字決算になった最大の理由はテレビ事業の行き詰 まりにあるといわれる。
そこで二〇一二年度のテレビ販売台数 の目標を、それまで四〇〇〇万台としていたものを、いきな り二〇〇〇万台に下方修正した。
 それでもソニーのテレビ事業は一七五〇億円の赤字で、これ までの赤字と累計すると一兆円近くになるという。
 そこで新しく社長兼CEOになる予定の平井副社長は「不 採算事業の切り離しなど、聖域なき構造改革を急ぐ」という経 営方針を発表している。
 敗戦後の焼け跡に東京通信工業という会社が生まれた。
井深 大と盛田昭夫の二人が立ち上げた会社で、「小さい会社」を目 指すという意味で「ソニー(小さい坊や)」という名前をつけ たのだとされている。
 そのソニーがトランジスタ・ラジオを開発することで大きく なっていったのだが、「トリニトロン・カラーテレビ」で成功し、 さらに「ウォークマン」がヒットした。
 こうして「小さい企業」であったソニーがいつのまにか大企 業になり、日本を代表する電機メーカーになっていった。
 ところが二〇〇〇年代になって業績が悪化し、二〇〇五年に は一万人の従業員削減、さらに二〇〇八年にも八〇〇〇人の 従業員を削減すると発表した。
 そして二〇一二年には四年連続の大赤字になるというのであ るが、これはいったい何を意味しているのか? それはまさに 「大企業解体」の時代を告げるものではないか‥‥。
        パナソニックの大赤字  このソニーに続いて今度はパナソニックである。
 二〇一二年三月期決算でパナソニックは七八〇〇億円の赤 字になるという予想を発表したが、これはもちろん過去最大 の赤字である。
 パナソニックでは、赤字になった最大の理由は三洋電機を 買収したことによるのれんの評価損が二五〇〇億円に達した こととしているが、それ以外にタイの洪水による生産減やリ チウムイオン電池が韓国メーカーとの競争に敗れたこと、円 高による打撃などもあげられている。
 そしてソニーの場合と同様に、テレビ事業が不振に陥って いることがパナソニックの業績不振の原因になっていること はいうまでもない。
 そこでソニーと同じようにパナソニックでも社長を交替す るとしており、大坪文雄社長が会長に退いて、津賀一宏専務 が社長になるという人事を発表している。
 そしてパナソニックの東京支社が入っている東京パナソニッ クビルを売却し、さらにダイキン工業株や小糸製作所株、高 砂熱学工業株、JVCケンウッド株など、パナソニックが所 有していた株式を次つぎと手放している。
 ソニーと違ってパナソニックは戦前に松下幸之助が大阪で 立ち上げた会社である。
自転車用のランプから始めて、やが てラジオやテレビを手がけ、松下電器産業として急成長した。
 事業が拡大するにつれて、松下幸之助は事業部制を採用し て部下の番頭たちに経営を任せたが、それによって会社の規 模はますます大きくなった。
 三洋電機は義弟の井植歳男が松下電器から分かれて設立し た会社である。
それが経営危機に陥ったところから、パナソ ニックがこれを買収した。
ところがこれがパナソニックの経 営を大きく圧迫することになったというのだから皮肉な話で ある。
 ソニーが苦境に陥っている。
「小さい会社」を目指していたはずが、 いつのまにか日本経済を牽引する存在にまで巨大化し、そのために身 動きが取れなくなってしまった。
処方箋は一つしかない。
──ソニー、パナソニックの悲劇── 第120回 大きくなりすぎた会社 65  MAY 2012           大企業解体論  ソニーの創業者である井深大は、会社設立の趣意書に「経 営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経 営なるがために進み得ざる分野に、技術の針路と経営活動を 期する」と書いているが、小企業であることがこの会社の 基本方針であった。
 ところが、この方針に反してソニーは盛田社長の時代から 大企業へ成長していき、井深はソニーの経営から離れていっ た。
 松下電器産業は松下幸之助の時代から大企業への道を歩 んでいったが、しかし松下幸之助から社長に任命された山下 俊彦は「松下電器産業は大きくなりすぎた。
各事業部、各 工場はすべて独立した会社にすべきだ」ということを主張し ていた。
この山下社長の方針を貫いていたら、パナソニック はこのように巨大な会社になることもなく、そして経営危 機に陥ることもなかったであろう。
 私は長年にわたる株式会社の研究から、大企業は行き詰 まっており、それを解決するためには大企業を解体する以外 にないと主張してきた。
 そこで一九九三年に『大企業解体のすすめ』という本を 書いて東洋経済新報社から出し、さらにそれを体系化、理 論化して一九九九年に『大企業解体』という本をダイヤモン ド社から出した。
その後も一貫して大企業解体論を唱えてき たのだが、最近のソニー、そしてパナソニックの経営危機に 際して、「それ見たことか!」という思いがしている。
 東京電力の問題についても、それを国有化するよりも、発 送電を分離し、発電についても各発電所ごとに分離すべき だということを『東電解体』(東洋経済新報社)という本で 主張している。
 「大きくなりすぎた企業は解体して小さくする以外にない」  ──これほど明確な、筋の通った話はないではないか。
        「モノ作り」の時代  戦後日本経済の高度成長を代表する企業として東のソニー、 西の松下電器産業(現パナソニック)があった。
 前者は井深大と盛田昭夫、後者は松下幸之助という個人に よって始められた企業である。
その個人企業が株式会社とな り、それがさらに急拡大して巨大株式会社にまで成長した。
 その?成長物語?と共に両者は日本経済の高度成長をリー ドする会社として知られていった。
 戦後の混乱期を経て、日本経済は一九五五年頃から高度成 長時代に入った。
それをリードしたのがソニーであり、松下 電器産業であった。
 「モノ作り」ということが当時いわれたが、ラジオやテレビ などを作ることによってソニーも松下電器産業も大きくなっ ていった。
 同様に「モノ作り」で成功したのがトヨタ自動車であり、 日産自動車であった。
この電機と自動車こそ高度成長期を代 表する産業であった。
 ところが、その自動車産業が頭打ちし、そして電機産業が 危機に陥った。
そこでトヨタ自動車や日産自動車が業績不振 となり、そしてソニー、パナソニックが経営危機に陥ったと いうわけである。
 いったいこれは何を意味するのか。
 人によって、これは「モノ作りの時代は終わった」と言う 人もいるが、なにより重要なことは「大企業の時代は終わっ た」ということである。
 会社が大きくなりすぎたために危機に陥った、ということ である。
 これは二一世紀の世界的潮流で、アメリカでもヨーロッパ でもそのことがいま大きな問題になっている。
ソニーやパナ ソニックの経営危機もまさにそのことを意味しているのであ る。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『東電解体 巨大株 式会社の終焉』(東洋経済新報社)。

購読案内広告案内