ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年3号
特集
第3部 3PLが主導する同業種共配日雑メーカー プラネット物流最大の危機を乗り越え新ステージへ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MARCH 2011  32 一六カ月連続で赤字を計上  プラネット物流は、ライオン、エステー化学、サ ンスターなど、日用雑貨品メーカー一〇社が出資す る共同物流運営会社だ。
一九八九年に株式会社と して設立され、現在は全国六カ所(北海道、北関 東、南関東、中部、関西、九州)にセンターを配 置し、メーカー四〇社にサービスを提供している。
 二〇〇九年七月期、同社は約三億三七〇〇万円 の当期損失を計上した。
前期に続く二期連続の赤 字で、会社設立以来の危機に直面した。
〇八年一 月に稼働した北関東流通センターの混乱がその原 因だった。
売り上げ全体の約三分の一を占める同 社最大の拠点であり、長年の悲願としてきた首都 圏における物流共同化を実現した施設だった。
 プラネット物流は、日雑業界の業界VAN(付 加価値通信網)を運営するプラネットを兄弟会社 に持つ。
プラネット物流に先立ち、八五年に日雑 メーカー九社の共同出資で設立され、メーカー〜卸 間のデータ交換を開始した。
その後、同社のVA Nは日雑業界に広く普及し、〇四年にはジャスダッ ク上場を果たしている。
 それと比べると物流共同化の歩みはのろかった。
プラネット物流は八九年に中部と東北の二拠点を開 設した後、九四年に九州、九八年に北海道に拠点 を構えている。
いずれも積載率に課題のあった物 量の比較的少ない地域だ。
〇二年には南関東、〇 四年には関西にセンターを開設した。
が、これも 参加メーカーや取り扱い規模は限られている。
 つまり北関東流通センターを開設するまでは、単 独メーカーでは物量のまとまらない地域だけを対 象としたニッチな共同化を扱っているに過ぎなかっ た。
本丸と言える首都圏の物流共同化は、長らく 実現できずにいた。
物量の多い首都圏は各メーカ ーとも既存施設やそこで働くスタッフを相当規模 で抱えている。
物流子会社を持つメーカーもある。
共同化に踏み切るには、施設の処理やスタッフの雇 用問題をクリアしなければならない。
 物流は車両や不動産、労働力などのリアルなア セットを必要とするだけに、いかに合理的な提案 であっても通信の共同化ほど切り替えは容易では ない。
共同化はメーカー側の準備が整うのを根気よ く待つ必要があった。
それだけに北関東流通セン ターの開設は同社が新たなステージに進むことを意 味する一大プロジェクトだった。
 埼玉県杉戸町の大型物流施設「GLP杉戸? (旧プロロジスパーク杉戸?)」に約八〇〇〇坪のス ペースを確保。
そこに日雑メーカー十一社の計八〇 万ケースの在庫を保管し、首都圏から本州以北の  念願だった首都圏向け大規模共配センターの立ち 上げでトラブルが相次いだ。
予定していた物量を処理 しきれず、混乱の収拾にコストがかさんだ。
その影響 で会社設立以来の大幅赤字に転落。
全社一丸となっ て立て直しに奔走し、山積する課題を一つひとつ克 服していった。
            (大矢昌浩) 70 60 50 40 30 20 10 0 44 732 プラネット物流の業績推移 15,000 10,000 5,000 0 -5,000 -10,000 -15,000 -20,000 -25,000 -30,000 -35,000 (単位:億円) (単位:万円) 06年07年08年09年10年7月期 売上高(左軸) 当期利益(右軸) 67 61 56 45 7,986 -33,687 367 -1,564 プラネット物流 最大の危機を乗り越え新ステージへ 日雑メーカー 第3部 3PLが主導する同業種共配 33  MARCH 2011 一都十三県・約二一〇〇カ所に一括納品するとい うスキームを組んだ。
 その稼働に先立つ〇六年九月に同社は日雑メー カーをメンバーとする「都市圏物流委員会」を設 置している。
そこでメーカー各社から参加の意向を 取り付けた上で施設の選定に着手した。
当初は専 用施設の新設も検討したが、物流不動産バブルと も重なり、条件を満たす物件が見当たらない。
最 終的に物流不動産ファンドが所有する五階建てマル チテナント型施設の一階・二階を賃借することに決 定したのが〇七年九月。
その半年後の〇八年一月 に稼働という慌ただしいスケジュールだった。
 現場は一階の約五五〇〇坪をピッキングエリア、 二階の約二五〇〇坪を保管エリアに設定した。
作業 フローは基本的にプラネット物流の既存施設を踏襲 し、現場作業には丸全昭和運輸グループの武州運輸 倉庫が約五〇人のフォークマンを投入。
一日約五万 ケースの入出庫を処理する設計だった。
 しかし、計画通りには進まなかった。
従来とは 比較にならない規模を取り扱うことになった現場 では、想定外の事態に相次いで直面した。
幅二〇 〇メートル×奥行き一〇〇メートルにも及ぶピッキ ングエリアでは、棚か ら商品を取り出して 出荷バースまで運ぶ のに予想以上の時間 がかかった。
 二階の保管エリア から一階のピッキン グエリアへの在庫補 充も滞った。
フロア単 位の使用を前提とし た賃貸施設であるため、垂直搬送機は後から頼ん で設置した一機のみ。
それで間に合わない場合は バースから出して一階まで運ばなければならない。
施設内の車両用通路は一方通行であるため巨大な 施設を一回りする必要がある。
 人海戦術をかけても出荷が間に合わない。
現場 はクレーム対応と深夜までの残務処理を強いられ た。
オペレーションコストがかさみ、軽油高騰によ る下払い運賃の値上がりがそれに追い打ちを掛け た。
〇八年一月の北関東流通センターの稼働と同 時に、同社の月次収支は赤字に転落した。
 リーマンショック直後の〇八年一〇月の株主総 会では当時の児玉博之社長が退任。
その後を引き 継いだ現在の久留雅雄社長に経営の立て直しが託 された。
全社的なコスト削減活動と並んで、北関 東流通センターの改革に背水の陣で取り組んだ。
 庫内レイアウトを見直し、出荷頻度の高いA商 品は保管場所を二階から一階に移すことで縦持ち 負荷を軽減。
出荷バースを二つに区分してピッキン グの動線を短縮。
さらには作業フロー自体も見直 して無線LANシステムを導入した。
 オペレーションが落ち着いてからは、処理能力の 強化を進めた。
細かな改善を積み重ねることで当 初六〇万ケースだった保管能力を段階的に約八〇 万ケースまで増強。
同時に生産性の改善によってフ ォークマンの数は約五〇人から四二人に削減した。
?共同物流子会社〞のモデルを探る  一〇年七月期、同社は再び黒字転換を果たした。
北関東流通センターの混乱を収集し、収益を確保 できるようになるまでには、結局一六カ月の時間 を費やした。
それでも念願の首都圏の物流共同化 を安定稼働にこぎ着けたことで、事業規模はそれ 以前の一・五倍程度に拡大した。
 しかし、久留社長は「当社は営利を目的とした 通常の会社とは違う。
売り上げ拡大を目標にはし ていない。
あくまでもメーカーに貢献することが使 命であって、そのために何ができるかということ だけをこれからも考えていく」という。
 ドラッグストアや量販店が専用センターを持つよ うになったことで、日雑業界でも卸を経由しない メーカー直送は増加している。
プラネット物流のイ ンフラを利用すれば直送可能な商品はさらに増え る。
それだけ輸送コストを削減できる。
その気に なれば事業規模の拡大は難しくはないはずだ。
 しかし、同社に出資するメーカーは卸経由のサ プライチェーンを堅持し、卸中抜きにつながる直送 には消極的だ。
その意向に反して勝手に駒を進め ることはできない。
メーカーの流通政策に沿って、 メーカー〜卸間の物流効率化を進めることがプラネ ット物流の当面の役割だ。
 久留社長は「当社は共同物流運営会社であり、 また業界共同の物流子会社でもある。
それがどう あるべきなのか。
これまで手探りで模索してきた し、これからもそうしていく。
お手本はどこにも ない」という。
共同物流のスキームを探る実験が 続いている。
奥行き200mにも及ぶ現場では動線の設計 にも工夫が必要だった 久留雅雄社長 特 集

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