ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2010年10号
判断学
第101回 金融危機の経済学とは?

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 OCTOBER 2010  68          ルービニの予言  二〇〇七年、アメリカの住宅金融=サブプライム・ローン の危機から始まって、翌二〇〇八年のリーマン・ブラザーズ の破綻、そしてさらに二〇〇九年のGMの倒産へとアメリカ の金融危機は拡大し、それがヨーロッパから日本にまで波及 して世界的な金融恐慌にまで発展した。
グリーンスパン前F RB(連邦準備制度理事会)議長が「これは一〇〇年に一 度の危機だ」と言ったが、この金融危機を予測した経済学者 は果たしていたのか?  ニューヨーク大学スターン経営大学院教授ヌリエル・ルー ビニは最近、『クライシス・エコノミクス』という本を書いた。
日本では『大いなる不安定』という題でダイヤモンド社から 出版されることになっており、本稿が発行される頃には書店 の店頭に並ぶはずである。
 その本でルービニは、二〇〇六年、国際通貨基金(IM F)の会議で金融危機が起こると予言したという。
ルービニ は「住宅所有者がモーゲージ・ローンで債務不履行を起こし ているので、数兆ドルのモーゲージ証券(MBS)が混乱し 始め、世界の金融システム全体が機能を停止する」と予言し たのだが、それを聞いていたIMF会議の出席者は誰も信用 していなかったという。
 ところがまもなく彼の予測は当たり、世界の金融市場は 大混乱に陥った。
ルービニがなぜそのような予測をしたのか、 そして金融危機の原因はどこにあるのか、さらに世界経済は これからどうなるのか、というような問題についてはこの本 を読んでもらうにこしたことはない。
 しかし、この金融危機の余波がまだ続いている現在、改め てサブプライム危機とは何であったのか、そしてそれはなぜ 起こったのか、ということを現在の時点で問い直す必要があ るのではないか。
その点でこの本は興味ある見方を示してお り、関心をそそるものがある。
        岩井東大教授の予言?  日本にもルービニのような経済学者はいたのか?  二〇〇八年一〇月一七日付の「朝日新聞」は、当時東京 大学経済学部教授であった岩井克人氏の次のような談話を掲 載していた。
 「かくも大きな金融恐慌が自分が生きている間に起きたこ とには驚いた。
だが、起こること自体には驚いていない。
私 は資本主義というものが本質的にこういう不安定さを持って いると常に考えてきたので、理論的には予測されたことだっ たからである」  岩井氏が果たしてこの金融危機が起こることを具体的にど こで予言していたのか、根拠をあげていないのでわからない。
金融恐慌が起こったあとになって「やはり私の予測した通り だった」というような人がいたとしても、その根拠を示さな ければ誰もそれを信用しないだろう。
 リーマン・ブラザーズが倒産したあと、私は急いで『世界 金融恐慌』という本を書いて、七つ森書館から二〇〇八年十 二月に出版した。
そこで私はこの金融恐慌がなぜ起こったの か、一九二九年の世界大恐慌との比較、新自由主義の破綻、 公的資金投入が意味するものなどの点について私の考えを詳 しく述べた。
中小出版社なのであまり広告もしなかったから かもしれないが、この本はあまり売れなかった。
しかし私と しては全力をあげて書いたつもりである。
 その後、リーマン・ブラザーズの倒産とそれに続く金融恐 慌についての本は、アメリカでも日本でもかなり出たが、そ ういう本のなかでも今回のルービニの本は本格的な金融危機 の分析として注目される。
 そこでわれわれはこれを機会に、改めてリーマン・ショック とその後の世界金融恐慌がなぜ起こったのか、それは資本主 義経済にとって何を意味するのか、そしてこれからどうなる のか、ということを考えておく必要があるのではないか‥‥。
 世界金融恐慌が意味するものは何か。
金融危機についての本は経済学者 によるものを中心に数多く出版されている。
だがその背後にある真の意味に ついて論じているものはどこにも見当たらない。
第101回 金融危機の経済学とは? 69  OCTOBER 2010         揺らぐ大企業体制  第二次大戦後の世界経済の動きをみると、戦後復興から一 九六〇年代まで黄金時代を迎えたが、七〇年代になるとそれ が息切れして、アメリカをはじめヨーロッパ諸国もスタグフレ ーションという二重苦に悩まされる。
 そこでイギリスではサッチャー首相、アメリカではレーガン 大統領による新自由主義路線がとられ、国有企業の私有化、 規制緩和政策がとられたが、これらはいずれも窮地に陥った 巨大企業を救済するためのものだった。
 そしてそれをさらに促進したのが経済の金融化であった。
実体経済の不振をカネの面で救済しようとしたのである。
 日本でも一九七〇年代の後半から経済の金融化が進み、八 〇年代にはこれがバブル経済となっていった。
アメリカでは 金融新商品や新技術が次つぎと開発され、ウォール街の投資 銀行や商業銀行が大々的にそれに乗り出した。
これを促進し たのがいわゆる金融工学であったが、それがバブルを生んで いったのである。
 ということは単に経済の金融化が進んだということだけで なく、その背後には大企業体制が揺らいでおり、その危機対 策として経済の金融化が進んだということである。
 それが矛盾を爆発させたところからサブプライム危機、さ らにリーマン・ショックへと発展していったのであるが、そ の点についての解明も十分になされていない。
 私は前掲書の「結び」で、「大企業の時代は終わった」と いう見出しでそのことを論じている。
これこそが二〇〇七年 からの世界金融恐慌の真の意味するところである。
 そこでこれまでの大企業体制に代わる新しい企業システム を構築していくことが求められているのだが、このような問 題についてはルービニをはじめアメリカの経済学者も、そし て日本の経済学者もまったくといっていいほど論じていない。
それこそが問題であると言いたい。
      日本は?矛盾の先進国?  私は前掲の本の第四章で「アメリカのドル支配体制が崩壊 しつつある」ということを、一九二九年の大恐慌と今回の世 界金融恐慌を比較したところで述べている。
 だが、いわゆる金融論の学者たちが書いた本にはこのよう な視点が欠けており、前記のルービニの本でも、もうひとつ この点が明確でない。
 二〇〇七年からのサブプライム・ローンの危機、それに続 く二〇〇八年のリーマン・ブラザーズの倒産、そしてシティ・ グループを始めとする巨大銀行への公的資金投入については、 一九九〇年代の日本のバブル崩壊と比較して議論されること が多い。
 ただ、アメリカと日本で似たようなことが起こったことが 問題だというだけではあまり意味がない。
 私は前掲書の第五章で「日本は矛盾の先進国だ」という見 出しでこのことを論じている。
日本の法人資本主義が?ジャ パン・アズ・ナンバーワン?といわれるようになった段階で バブルを生み、それが九〇年代になって崩壊したのだという ことを述べ、その点で日本は「矛盾の先進国」だと言ったの である。
 そして日本は九〇年代のバブル崩壊から立ち直ることがで きず、「失われた一〇年」などといわれたが、それからよう やく立ち直るかにみえた段階で、今度はアメリカ発のリーマ ン・ショックに見舞われたというわけである。
 もっともアメリカではこれとは別にブッシュ大統領時代の 九・一一事件、それに続くイラク戦争があり、これがアメリ カ経済の軍事化による活況をもたらしたという面がある。
こ の点は日本のバブル経済と異なる点だが、しかしルービニの 本でもこの点はあまり論じられていない。
 このあたりにアメリカの経済学者の限界があるということ もできるのではないか。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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