ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2010年8号
メディア批評
大逆事件関係者の汚名をそそぐ動きが活発化地方紙として地元の歴史に向き合う熊野新聞

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高 信 経済評論家 AUGUST 2010  76  和歌山県新宮市にある『熊野新聞』が六月 二二日付の紙面で、一九日に開催された「『大 逆事件』一〇〇年フォーラム in 新宮」のこと を報じている。
 私はそのフォーラムの最初に『大逆事件─ ─死と生の肖像』(岩波書店)の著者、田中 伸尚と「自由と抵抗をめぐって」という対談 をしたのだが、一九一〇年に天皇暗殺を企て たという「大逆事件」をでっちあげられて幸 徳秋水や管野すがらが処刑された時、熊野で も大石誠之助や高木顕明など六人が連座させ られた。
それでこのフォーラムの実行委員長 の二河通夫はあいさつの最後に、こう付け加 えた。
 「本来なら、ここで降壇すべきですが、今 回は百年ですから」「非戦・平和に生き、冤 罪の犠牲になった先人たちの遺族の方々が、 この百年の間にどういう苦しみ痛みを受けて きたかを思い、実行委員長としてお詫びの言 葉を述べさせていただきたい」  二河は声をふるわせて「百年のケジメとし ての遺族へのお詫びメッセージ」を発表した のである。
 フォーラム終了後に二河は記者に、  「私たちの曾・祖父母らが、犠牲者を『逆徒』 とののしり、遺族たちをこの地に住みにくく したことを、公の場でお詫びしたいとかねて から思っていた」  と語ったという。
 昨年、二河が会長の「『大逆事件』の犠牲 者を顕彰する会」が中心となり、「大石誠之 助を名誉市民に」という要請書を新宮市長に 出した。
それについては、私は対談で「ちょ っと引っかかる」と述べ、こう言った。
 「(私の郷里の)酒田の隣の鶴岡では、藤沢 周平は生前は名誉市民を断った。
行政や国が 認めるのがナンジャイなということ。
認めら れない、少数派として生きる誇りですよ。
(む しろ)、自分たちの中で不名誉市民をつくっ たらいい」  これに対して、田中は次のように歴史と背 景を説明した。
 「新宮の駅前に名誉市民の大きな看板が出て いるが、横浜事件の木村亨さんと『ここに大 石誠之助の写真が出るようになれば時代も変 わるだろうね』と話したことがある。
とても 実現しないこととして言った。
ところが名誉 市民に、という話を聞いた。
私も最初は佐高 さんが言うように、ちょっとヘンではないか、 大石が生きていたら、きっと喜ばないと思った。
しかしよく考えたら百年間も不名誉な?逆徒? とされて、再審請求も却下されて有罪のまま である。
それをはがしていくのに何ができるか、 と地元の人たちが考えた。
私は、今は『名誉 市民』も一つの方法と考えている」  この発言に私もほぼ「そうだな」と思って いたのだが、その後のパネル討論で「大逆事 件の真実を明らかにする会」の事務局長で明 治大学教授の山泉進にダメを押された。
 「名誉市民の話を面白く聞かせてもらった。
新宮は一〇年の運動。
こういう復権運動を議 会が決議するのは本当に新しい。
関心を持っ ている人が考えついた新しい形だ。
大石の名 誉市民は違和感はあるにしても、運動の中で 出てきたことであって、寛容性をもって批判 しないといけない。
 幸徳秋水の復権の中で、幸徳秋水神社をつ くったらどうかという意見もある。
秋水は唯 物論者だから、魂とか信じてないが、そうい う発想があっていい気もする。
(中略)裁判 で有罪無罪というよりも、この人たちが何を 考えていて、何を残してくれたのか、どうし て未だに許されないのか。
天皇制の問題もあ ると思うが、復権したからいいではなく、許 されない人をいろんな形で顕彰し、いろんな 形でやっていけばいいと思う」  三〇日付の紙面では二面にわたってフォー ラムの内容を詳しく報じた。
『熊野新聞』は 確かに歴史に向き合っている。
大逆事件関係者の汚名をそそぐ動きが活発化 地方紙として地元の歴史に向き合う熊野新聞

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