ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2007年9号
メディア批評
米紙に慰安婦問題をめぐる意見広告を掲載軍の関与を否定する国会議員や文化人たち

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高 信 経済評論家 77  SEPTEMBER 2007  慰安婦問題について軍の関与はなかったと する意見広告を『ワシントン・ポスト』に載 せた議員や有識者は六三名。
 自民党議員が愛知和男、稲田朋美、江藤 拓、島村宜伸、中川義雄ら二九名で、民主党 議員が川村たかし、松原仁、松下新平ら十三名。
それに無所属の西村眞悟と平沼赳夫が加わって、 計四四名。
 大学教授やジャーナリストら、いわゆる文 化人としては、宮崎正弘、荒木和博、西岡力、 藤岡信勝、加瀬英明、西尾幹二、富岡幸一郎、 岡崎久彦、青山繁晴、屋山太郎、櫻井よしこ ら一九名が名を連ねている。
 これが契機になって、一度沈静化していた 米下院での対日謝罪要求決議案が再燃し、外 交委員会では三九対二の圧倒的多数で可決され た。
 それについて、元沖縄担当首相補佐官の岡 本行夫が七月二三日付けの『産経新聞』「正論」 欄に興味深いことを書いている。
題して「な んのための教科書修正か」。
 まず、岡本は東大名誉教授だった堀米庸三 の「歴史というものはばらばらの事実を年代 順に並べることではなく、現在の人間が主観 的な契機をもって過去の資料を取捨選択するも のである」という説を引き、沖縄の教科書検 定問題について、こう書く。
 「誰の命令か発意かは別にして、痛ましい集 団自決があったのも渡嘉敷、慶良間だけではな い。
たとえば、戦争中に特に激しい米軍の攻 撃を受けた伊江島では島に残った住民三〇〇〇 人の半数が死んだ。
軍によって米軍への投降 を厳しく戒められていた島民たちの中には、絶 望的な状況下で手榴弾や爆雷を囲んで集団自決 していった人々も少なくない」  つまり、当時の沖縄の人々にとっては、友 軍という名の日本軍こそ、自分たちを死に追 いやる存在だったのである。
降伏することさ え許さなかったとは、何のための軍隊なのか。
極端に言えば、敵の米軍こそ友軍だった。
投 降すれば命を奪うことはなかったからである。
その事実に蓋をしたいために「軍命令による 集団自決」という教科書の記述を修正したか ったのだろう。
 岡本は冷静に説く。
既に書かれていた教科 書の記述を、論争のある時に修正することは、 「軍の関与はなかった」とする史観を新たに採 択した意味を持つのであり、否定できない犠 牲の歴史が沖縄にある時に、修正しなければ ならないほど重大な過誤が従来の記述にあっ たか疑問だ、と。
 「歴史とは事実の羅列ではない。
それを通じ て生まれてくる主観である」という岡本の指 摘はその通りだろう。
 そして岡本は「正論」をこう結ぶ。
 「歴史をどのような主観をもって語っている と他人にとられるか、これが問題の核心であ ることに留意しなければならない」  城山三郎に「一歩の距離」という作品があ る。
特攻を志願する者は一歩前へ出よと命令 されるのだが、それは「志願」とは名ばかり で、拒否することはできないのである。
そう した空気がつくられる。
その空気を無視して 「志願だった」というのは、やはり、歴史の改 竄だろう。
兵隊たちに向かって、航空隊司令 が呼びかける。
 「司令は、大義に殉じようとする者の志願を 待つが、これは全く諸君たちの自発的意志に 任せることである。
但し、長男と一人息子の 者は除外する」  しかし、「志願」した長男や一人息子を拒否 することはなかった。
その前に命令である。
 「全員、目を閉じよ。
よく考えた上で、志願 する者は一歩前に出るように」  「自発的意志」とは、あまりにも空々しい。
自らも一七歳で海軍に「志願」した城山は、 あれは「志願」と思わされたのであり、言論 の自由のない当時の国家や社会が「強制」し たのだと繰り返し語った。
米紙に慰安婦問題をめぐる意見広告を掲載 軍の関与を否定する国会議員や文化人たち

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