ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2007年1号
ケース
ビジネスモデルネットオフ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

週末はブックオフでアルバイト 「このまま定年までトヨタに勤めるんだろう な」――。
大学を卒業して一九八九年にトヨ タ自動車に入社したとき、二十三歳の黒田武志は漠然とそう考えていた。
九年後に退社し、 起業することになるとは思ってもいなかった。
それが今や、年間一六・五億円を売り上げる ベンチャー企業「ネットオフ」のオーナー経 営者として、株式公開の時期をうかがうまで になっている。
トヨタでは、補修用パーツなどを扱うアフ ターマーケット部門でずっと過ごした。
すで に枠組みのできあがった仕事の多い大企業に あって、黒田の担当した業務は異端だった。
入社三年目頃に手掛けた中古バンパーのリサ イクル事業では、全国各地で不要になったバ ンパーを原材料にリサイクルする仕組みをプ ロジェクトリーダーとして作った。
九六年に トヨタがカーショップ事業を立ち上げたとき には、上司の指示で最初の企画書を作り、子 会社を設立するところまでたずさわった。
「ゼロから事業を作る経験をした。
こういう 仕事をもっとしたいと思ったのだが、トヨタ の中にそんな話はそうそうなかった」 企画部門に所属していた黒田の本来の役割 は、四〇〇〇億円規模の売り上げを持つアフ ターマーケット部門の販売目標や年度方針な どを策定することだった。
「非常に大切な仕 事だし、最初は勉強になった。
しかし何年も やっているうちに、あるときから作文を書い ているようにしか思えなくなった。
すごい金 額なのに、お金というリアリティを感じられ なくなってしまった」と黒田は振り返る。
そ うした日々を過ごしているうちに、起業した いという気持ちが徐々に膨らんでいった。
そんなとき目にとまったのが、起業家向け 情報誌『アントレ』(リクルート発行)の創 刊号(九七年四月号)にあった記事だった。
そこには当時、中古書籍の販売でメキメキ頭 角を現していたブックオフコーポレーション の坂本孝社長(現会長)の談話と、同社が新 設した「エンジェルプラン」という経営者の 育成制度について記されていた。
まだ年商が 五七億円しかなかったブックオフが、「シリ コンバレーのベンチャーに資金・ノウハウを 提供する個人投資家たちを総称する『エンジ ェル』のあり方に共感」して立ち上げたという起業家の募集告知だった。
さっそく「エンジェルプラン」の説明会に 出向いた黒田は、ここで初めて生身のベンチ ャー経営者に接して、「あー、こういう感じ なのか」と強い感銘を受けた。
ただし、トヨ タを休んでまでして参加したのに、出席者が 百数十人に上ったこともあり、その日は一方 的に話を聞くだけで終わってしまった。
ここ から黒田の?追っかけ〞が始まった。
わざわ ざ坂本社長のスケジュールを秘書に確認して は講演会に足を運び、いつも会場の前のほう で聴くようになったのである。
ビジネスモデル ネットオフ トヨタ出身の起業家が挑むネット事業 古本から総合リサイクルへ脱皮めざす JANUARY 2007 38 ネットオフの黒田武志社長は異色のベンチャー 経営者だ。
9年前にトヨタ自動車の正社員という安 定した職を捨て、ブックオフの店舗経営者に転身。
その後、インターネットを使った中古書籍の販売 事業を軌道に乗せた。
株式公開を視野に入れるま でに成長できた背景には、トヨタ生産方式に倣っ た効率的な物流オペレーションの追求と、それを 支えた濃密なトヨタ人脈があった。
そうこうするうちに黒田の心の中に、共感 する一方で『本当かよ?』という懐疑的な気 持ちがわいてきた。
そこでトヨタの正社員と いう身分のまま、ブックオフでアルバイトを してみることにした。
ちょうど三重県の四日 市に中部地区の直営一号店がオープンする予 定だった。
名古屋市内にあるトヨタの寮から 四日市へは、車で一時間半くらいあれば行け る。
通えない距離ではない。
こうして平日はトヨタで働き、土日はブッ クオフの「四日市日永店」でアルバイトをす る日々がスタートした。
時給七〇〇円で一日 八時間働くバイト代では、名古屋と四日市を 往復する交通費に昼食代を加えれば足が出た。
それでもブックオフの店舗で開店の二週間前 からオープニング・スタッフとして働いたこ とは間違っていなかった。
店がオープンする前日には、店長とアルバ イトが居酒屋に集まって?決起集会〞が行わ れた。
そこでは二週間前までアカの他人だっ た人たちが、「明日からがんばろう」と涙な がらに声を掛け合っていた。
「なぜか自分も 泣いていた。
学生時代にいろいろと経験した バイトとも、トヨタで働くのとも違う感じが あった」。
坂本社長の話は嘘ではなかったと 再確認した黒田は、あらためてこの世界に引 き込まれていくことになる。
トヨタを退社しFC経営者へ前述したブックオフの説明会に出席した後、 黒田が考えていた事業プランを同社に説明す るチャンスが一度だけあった。
インターネッ トを使った中古書籍の販売事業についてプレ ゼンテーションをしたのだが、結果はまった く音沙汰なし。
それから半年ほど経つ頃には、 「エンジェルプラン」による起業をほとんど諦 め、他の道を模索しはじめていた。
ところが九八年の早春のある日、ブックオ フの坂本社長から黒田に直接、電話が入った。
「君、アルバイトをしてるらしいな?」 「えー、そうなんです」 「エンジェルプランには一五〇人くらい応 募があった。
プレゼンをする奴はいても、さ すがにアルバイトを長いことしている奴はい なかった。
一回、飯でもどうだ?」 快諾した黒田は、後日、新幹線の新横浜駅 に隣接するプリンスホテルで、中華料理を食 べながら坂本の話を聞いた。
その席で「一番 やる気があったのは君だ。
いま働いている四 日市日永店を暖簾分けしてあげるから、やっ てみなさい」と坂本社長に言われた後は、も う前進するだけだった。
さっそくトヨタを退 社する準備にとりかかり、九八年五月にはブ ックオフが四日市に設立した店舗運営子会社 「ブックオフウェーブ」の社長に就任。
「エン ジェルプラン」の第一号案件として四日市日 永店などの経営を手掛けることになった。
このときの起業の内容は「中古書籍のネッ ト販売」とはまったく異なっていた。
それで も新会社の社名にある「ウェーブ」というの は、実はネットを意味するWEBから取った もので、ここに黒田の?想い〞が込められて いた。
いずれにせよ、自ら描いたビジネスプ ランを実現するにはここで実績を残すしかな い。
その後はしゃかりきになって働いた。
独立した当初の黒田は四日市市に自宅を構 えていたが、ほどなく岡山県内に引っ越した。
経営不振に陥っていた同地のブックオフの店 舗を立て直すためだ。
この店舗は、四日市日 永店とほぼワンセットでブックオフ本部が黒 田に経営を委ねたものだった。
一応は利益の出ていた四日市日永店と、岡山の不振店を合 わせれば収支はほぼトントンになる。
そこか ら経営者としての修行をスタートしろという わけだ。
その後の「ブックオフウェーブ」は、 こうした不振店をどんどん再建することで業 容を拡大していった。
ちなみに、経営不振に陥った店舗を再建す る際に黒田がとった手法はシンプルなものだ った。
不振店の多くは、ある種の「負のスパ イラル」に陥っていた。
「まず売れなくなって いる。
売れないから、買い取った商品がバッ クヤードにどんどん溜まっていく。
そうなっ 39 JANUARY 2007 黒田武志ネットオフ社長 違えるように好転していった。
同じ場所でや っているのに、いきなり前年比一五〇%とか 二〇〇%といったペースで売り上げが伸びた。
「ブックオフウェーブ」の業績も良くなった。
資金に余裕が出てくると新規出店も手掛けるようになり、わずか二年余りで一〇店舗近く を経営するまでに成長することになる。
一人で旗揚げしたネット事業 ブックオフの店舗経営で華々しい実績を残 しながらも、ずっと黒田はネット事業に進出 するチャンスをうかがっていた。
したたかに 布石も打った。
「ブックオフウェーブ」が新 規出店した「東岡山店」は、売場面積八〇〇 平米余り、バックヤードが一一〇〇平米余り という大型店舗だ。
家電量販店の店舗兼配送 センターだったこの物件に黒田が目をつけた のは、バックヤードの広さゆえだった。
「ネット事業が絶対にいける自信はあった。
それでも、やはり新規事業というのは蓋を開 けてみなければ分からない。
いきなり専用の 倉庫を構えたり、専任スタッフを置くのは非 常にリスキーだ。
だから最初は、まず広い倉 庫がついているお店をオープンさせた。
店舗 の収益でネット事業のための倉庫の賃料をま かなえれば、仮にネットで失敗したとしても 損失を最低限に抑えられると考えた」 幸い東岡山店は店舗としても優秀な業績を 残した。
この収益で一気にネット事業を立ち 上げようと考えた黒田は、九九年の冬から具 体的な準備にとりかかった。
とはいえ「ブッ クオフウェーブ」の従業員の中には、インタ ーネットに詳しい人材も、ネット事業のため の物流を構築できる人材もいなかった。
そこ で黒田は従業員に対して、「君たちは店舗を やれ。
僕は一人でネット事業を旗揚げする」 と宣言。
同社の一部門としてネット事業の準 備に着手した。
すでに倉庫は確保してある。
物流担当者と コールセンター業務の責任者も採用した。
次 は、売るべき商品、つまり中古書籍の初期在 庫をどう集めるかが課題になった。
そもそも 中古書籍販売のキモは、商品の?買い取り能 力〞にある。
新刊本であれば、欲しいと思っ た本を卸(取次)から仕入れることができる。
しかし、中古書籍はそうはいかない。
小売店 である企業自身が、いわば自給自足で商品を 確保する必要がある。
黒田たちは、半年間ほど初期在庫の確保に 奔走した。
最初は一般の消費者から集めよう と考えて、本の買い取りを知らせるチラシを 配ったり、地元のスーパーの軒先で「臨時買 い取り」を毎週のように行った。
ついには岡 山県のローカルTVにCMを打つという思い 切った手まで打ったが、いずれも期待外れに 終わった。
何をやってもダメか、となったと きに思わぬ幸運が舞い込んできた。
「ある北陸のFCオーナーから電話が掛か ってきて、『伊勢のほうで撤退物件がある。
北 陸からでは行けないから、黒田くんのところ てくると新刊販売などの経験のある人は、在 庫は少ない方がいいと考えて買い取りを絞り はじめてしまう。
しかし、中古というのは、 ある程度の在庫を抱えてやる必要がある。
ビ ジネスの前提が新品とは正反対なのに、在庫 を絞るから悪循環に陥ってしまう」 不振店に乗り込んだ黒田たちは、まず店頭 の商品のうち長く動いてなさそうな本を一挙 に捨ててしまった。
代わりにバックヤードの 本を、どんどん店頭に出していく。
その一方 で「買取価格一〇%アップ」といったキャン ペーンを打つなどして買い取りも積極化し、 停滞していた商品を強制的に回転させる。
そ れでも売れ行きが悪いままならば、再び店頭 を入れ替えた。
こうして商品の動きを活性化 することによって徐々に売り上げは伸びはじ め、「負のスパイラル」は「正のスパイラル」 へと変わっていったという。
理屈そのものは、誰もが納得できるものだ ろう。
しかし肝心なのは、そのための作業を 店舗ぐるみで実践できるかどうかだ。
店頭を 強制的に活性化しようとすれば当然、仕事は 一気に増える。
店長一人が奮闘したところで、 到底こなせる作業量ではない。
つまりアルバ イトを含む従業員の多くがその気にならなけ れば不振店の立て直しは望めない。
こうした 場面で、黒田がアルバイト時代から培ってき た経験が役に立った。
あの手この手で従業員のモチベーションを 高めることに成功した。
不振店の業績は、見 JANUARY 2007 40 間後に再び同じような撤退物件を紹介され、 二件で計三〇万冊の初期在庫を一挙に揃える ことに成功したのである。
予想外の展開でGAZOOに出店 もう一つ残されていた大きな課題は、情報 システムをどうするかだった。
黒田はITの 専門家ではない。
ビジネスモデル自体はほぼ 完成していたし、苦労の末に初期在庫も確保 できた。
ところが肝心のウエブサイトをどう するかは、まったく白紙の状態だった。
当初は自前のシステムを構築しようと考え ていたため、ITの担当者を探したり、シス テム開発会社と接触したりしていた。
しかし、 限られた資金で大掛かりな求人募集はできな い。
身近にシステムに詳しい人材がいないた めに、システム開発会社との相談も思うよう に進まないという状態が続いていた。
そんなとき、たまたまトヨタ時代から面識 のあった代理店の社長に、「いい人がいたら 紹介してください」と声を掛けたことが思わ ぬ結果につながった。
その代理店の社長が、 トヨタのアフターマーケット部の部長に話を してくれたところ、偶然にもその部長が黒田 のトヨタ時代の直属の上司だったのである。
「それで久しぶりに飲みに行こうということ になった。
話をしているうちに、実はトヨタ も『GAZOO』というネット事業を本格的 に立ち上げようとしているという話題になり、 そこの部長を紹介してもらえることになった。
忙しい人たちだったが、ゴールデンウィーク の合間の出勤日であれば両部長にじっくりと 話を聞いてもらう時間がとれるという。
それ で五月二日に半日以上、二人に付き合っても らいプレゼンをした」 このときに黒田が強調したのは、ネットで 古本を販売するだけの事業を目指しているわ けではないという点だった。
その頃、米アマ ゾン・ドット・コムはまだ日本に進出してい なかったが、黒田の見立てでは、米国でアマ ゾンが躍進できた本当の理由は「本のディス カウント」をしたからだった。
一方、日本で は再販制度があるため本の値引きはできない。
これを狙ってやろうとしたら中古の世界でし か実現できず、だからこそ自分のやろうとし ている事業は大きな可能性を秘めている。
ビ ジネスの材料はすでに揃っているから、残る システムとオペレーションを一緒に考えて欲しい――。
これがプレゼンの骨子だった。
この話にトヨタの二人の部長が賛同したこ とから、話は文字通りトントン拍子で進みは じめた。
すでにトヨタの「GAZOO」の中 で動いていた新刊書籍の販売サイトの仕組み を参考にシステムを構築することが決まった。
用意してあった約三〇万冊の在庫をネットビ ジネスのためにオペレーションする物流の仕 組みも、トヨタ生産方式のプロたちの助けを 借りて整えることができた 二〇〇〇年七月には、ネット事業を手掛け る会社「イーブックオフ」(※二〇〇五年一 41 JANUARY 2007 で行ってきたら?』という話だった。
さっそ く行ってみたら、夜逃げでもしたのか現場は すでに差し押えられていた。
それでも、ここ で一五万冊くらいの本を手に入れることがで きた」。
さらに幸運は続いた。
それから一週 企業概要 所在地:愛知県大府市 売上高:16.5億円(06年5月期) 資本金:5億1435万円 株主:黒田武志、ブックオフコーポレ ーション、トヨタ自動車、三井物産、 ニッセン、サイバーエージェント、ベ ンチャーキャピタル各社など 従業員数:約300人(パート含む) http://www.ebookoff.co.jp/index.jsp 違いないと思えるほど強い影響を受け続ける ことになる。
トヨタ人脈いかし物流を再構築 「eBOOKOFF」に対する消費者の反 響は、サイト稼動の初日から凄まじかった。
アクセスが集中してシステムがダウンしかけ たため、初日の途中から急遽、サイトをクロ ーズ。
システムを増強して営業を再開した翌 日も、たびたびサイトの反応が遅くなるほど 盛況だった。
開始月の月商は二週間という短 期間ながら約四五〇万円に達し、その後も右 肩上がりで伸びていった。
売り上げの順調な伸びは、ほどなく物流の 問題を顕在化させた。
ブックオフの「東岡山 店」に構えていた約一一〇〇平米の倉庫はす ぐにパンク状態になり、近隣に賃貸倉庫を借 り増す必要が生じた。
二つの倉庫でも手狭に なり、さらに別の倉庫を借りなければいけな い段になると、利用者の反応の良さからこの ビジネスへの確信を深めていた黒田は、新し い物流拠点の選定を本格化した。
まず立地エリアを「GAZOO」の本拠地 と同じ名古屋地区に定めた。
平屋で広いスペ ースを確保でき、将来はコールセンターなど の機能も一緒に置くことを念頭に、名古屋の 中心部から通勤できる範囲内という条件で物 件を探した。
およそ五〇の案件を検討した結 果、名古屋駅からJRの快速で十数分の大府 市にある鉄工所の跡地が気に入った。
すでに 先約があったが、持ち前の粘り強さで黒田が オーナーに頼み込み、何とか契約にこぎつけ ることができた。
新しい物流拠点の規模は約六六〇〇平米 と、それまでに比べると一気に六倍という拡 大だった。
当時の事業規模では庫内がスカス カになるのは目に見えていたが、黒田はあえて勝負に出た。
「これくらいのビジネスにす る」という意気込みとともに、物流に対する 独自の考え方がこの判断を後押ししていた。
「物流管理をローコストで手掛けることが、 このビジネスの絶対条件であり、一番のコア コンピタンスだ。
これを実現できれば資金力 のある後発組に対する?参入障壁〞にもなる。
だからこそ我々は、このように面倒くさい仕 事を自前で手掛け、コツコツと改善し続けて いる」と黒田は強調する。
ビジネスモデルの 中核を担う倉庫への先行投資は、当然の判断 だった。
〇月に「ネットオフ」に社名変更)を名古屋 市内に設立。
本来は店舗運営を目的としてい る「ブックオフウェーブ」とは異なる会社で 正式なスタートを切ることができた。
そして、 黒田がトヨタでプレゼンを行ったわずか三カ 月後の二〇〇〇年八月一四日、計画通り中 古書籍販売サイト「eBOOKOFF」の稼 動にこぎつけた。
ネットオフの質素な会議室には現在、この 営業開始の直後に撮られた記念写真が飾られ ている。
前列の中心にブックオフの坂本社長 が座り、その右側にはトヨタの豊田章男取締 役(現副社長)が、左側には黒田が着席し、 この三人を二〇人ほどの関係者が囲んでいる。
当時、トヨタでGAZOO事業の責任者を務 めていた豊田章男氏が、開業を祝ってわざわ ざ岡山県まで足を運んでくれたときのワンシ ョットなのだという。
さらにその写真が掲げられた横には、渡辺 捷昭現トヨタ社長や豊田章男副社長などトヨ タの経営トップから送られた色紙がズラリと 並び、黒田とトヨタの浅からぬ関係を物語っ ている。
実際、発足直後の「イーブックオフ」 はトヨタから五〇〇万円(当時の資本金総額 の一〇%に相当)の出資を受けている。
トヨ タが株主に名を連ねることは、新会社の信用 や注目度を高めるうえで絶大な効果を発揮し たはずだ。
両社の親密な関係は後の物流セン ターの再構築などにも引き継がれ、トヨタの 協力なくして現在のネットオフはなかったに JANUARY 2007 42 会議室にはトヨタ幹部の色紙と開業時の写真 こうして二〇〇二年十二月に「大府商品セ ンター」を稼動して以降も、段階的に物流管 理を見直した。
稼動当初は、岡山県で事業を スタートしたときに構築した、バーコードを 一切使わない仕組みを使っていた。
このとき の作業手順は、まずピッキングすべき本一冊 ごとに短冊状の「指示ビラ」を出力。
この 「指示ビラ」を作業者が自らロケーション順 に並べ替えてカートピッキングすることによ って作業導線を最短にするという、いかにも トヨタらしいオペレーションだった。
しかし、 この方式だと、物量増に応じて「指示ビラ」 の枚数が膨大になってしまうなど、すでに現 実的ではなくなっていた。
そこで二〇〇四年の秋から庫内オペレーシ ョンの抜本的な見直しに着手した。
そのため に、まずはトヨタ生産方式のスペシャリスト として、補修部品の物流管理で要職についていたトヨタのOBと、「QRコード」(トヨタ グループが「電子かんばん」を実現するため に開発した二次元シンボル)の開発メンバー だったデンソーのOBの二人を「イーブック オフ」の役員として招聘した。
この二人を中 心に、QRコードと無線LANを使ったオペ レーションの仕組みを作りこんでいき、新シ ステムを二〇〇五年十一月に稼動した。
一方、サイト運営の面でも、二〇〇五年七 月に「GAZOO」から独立して自前のシス テムに切り替えるという変化があった。
これ と同じタイミングで、利用者への商品配送を 委ねる宅配業者の見直しも行い、コンペの結 果、ヤマト運輸を利用するようになっていた。
ただし、アウトソーシングせざるをえない 配送業務で競合他社と差別化を図れるとは考 えていなかった。
ヤマトの「宅急便」だけを 利用しているのであれば、同社の時間指定配 達なども活用できる。
だがそうしたサービス のないメール便との併用で、どちらを使うか は物量次第という状況では、利用者に対して 時間指定配達をうたうことはできない。
ヤマ トに切り替えた理由は、むしろ?集荷品質〞 を確保する狙いからだった。
「中古のビジネスでは?買い取り〞で優位 に立った者が一番強い。
だからこそ僕らは買 い取りのサービス性を大事にしている。
集荷 については、時間指定の正確さなどでヤマト さんのレベルが一番高いと判断した」と黒田 は説明する。
これは中古書籍の販売だけでな く、中古品を扱うどのようなビジネスにも通 じるポイントだ。
書籍以外を視野に入れてイ ンフラを整備する姿勢は、二〇〇五年一〇月 に「イーブックオフ」から「ネットオフ」に 社名を変更したことにも表れている。
さらに、この社名変更には、もう一つ重要 な意味が隠されている。
二〇〇三年三月の時 点で同社はブックオフの連結子会社だったが、 その後の相次ぐ増資によって二〇〇五年九月 には持分法の適用会社からも外れた。
いわば、 ブックオフ離れを加速しており、いまや両者 はライバル関係になろうとしている。
ブック オフが二〇〇七年六月末までに初期投資五億円を投じて「BOOKOFFOnline (仮称)」というサイトを立ち上げようとして いることが、その何よりの証拠だ。
これから両社が繰り広げることになるであ ろう戦いは、ある意味では、ネット事業を支 える物流機能の勝負になるはずだ。
トヨタ生 産方式を徹底的に活用したネットオフが先行 者の優位を保つのか、経営体力と買い取り能 力に勝るブックオフが一気に急追するのか。
ネット時代ならではのサプライチェーン構築 競争に注目したい。
(文中・敬称略) ( フリージャーナリスト・岡山宏之) 43 JANUARY 2007 本社とコールセンターを併設する「大府商品センター」 鉄工所だった約2000坪の倉庫棚の並べ方など社外秘が満載 CDなどの研磨もセンター内で本社とコールセンターも倉庫に隣接

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