ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2002年6号
判断学
合併の失敗から学べ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 合併の失敗から学べ 新連載 JUNE 2002 58 併に走るのは、いうまでもなく合併によって規模を大きくす るためである。
産業界の合併はみな「規模の経済」を求めて 行われるのだが、しかし果たして合併によって「規模の経済」 性が発揮されるのか。
大量生産・大量販売を原理とする産業 では発揮されるかもしれないが、銀行にそれが働くのか。
疑 問である。
それ以前に二〇世紀末になって産業構造が脱工業化し、情 報化、サービス化の方向に向かっているが、そこでは「規模の 経済」が逆に「規模の不経済」になり、大企業病にかかって いるのではないか。
現に合併や買収が盛んなアメリカでも八〇年代ごろから大 企業病が大きな問題になり、その克服策としてリストラクチャ リングが行われるようになった。
そこで合併する場合でも単に 規模を大きくするのではなく、合併したあと事業を再構築し、設備をスクラップ化し、人員を大幅に削減するというというこ とが行われた。
そういう努力が行われたにも関わらず最近のアメリカでは合 併の失敗が大きな問題になっている。
AOLとタイム・ワーナ ー社の合併は失敗だったといわれるし、J・Pモルガンとチェ イス・マンハッタン銀行の合併も必ずしも成功とは言えない。
ドイツのダイムラーがアメリカのクライスラーを合併したが、 その結果ダイムラーは苦境に立たされており、クライスラーを もう一度分離せよという声が大株主から起こっている。
そしてヒューレット・パッカードがコンパックを合併しよう としたことに大株主であるヒューレット家という創業者一族か ら反対が出て裁判沙汰になっている。
日本では会社を大きくすることが自分の使命だと考えている 経営者が多い。
とりわけ不況になれば合併によって会社を大き くすれば苦境を脱することができると考える。
第一勧銀、富士、興銀の三行経営者が何を考えて統合=事 実上の合併を決めたのか、よく分からない。
というよりも合併 についてそれほど深く考えていなかったのではないか。
会社が ・ みずほのシステム障害  みずほグループのコンピュータ・システム障害が大きな社会 問題になった。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の三 行が統合してみずほホールディングスという持株会社を作り、 その下に旧三行の業務を引き継ぐという形で四月一日にスタ ートしたが、スタート時点でコンピュータのシステム障害が起 こった。
もともと第一勧銀のコンピュータは富士通、富士銀行は日 本IBM、興銀は日立製作所製であったが、それをどれに統 一するかでもめた。
はじめは個人取引部門では第一勧銀のシス テムに統合することになっていたが、途中で富士銀行が巻き返 しをはかり、二つのシステムを併存して、本格統合を一年先送 りすることになった。
そこで第一勧銀と富士のコンピュータを結ぶ中継コンピュー タを作ったが、これがプログラムの不具合を起こしたというわ けだ。
三行の派閥争いがこの混乱を招いたのだ。
と「日本経済 新聞」をはじめ各新聞が書き立てている。
三行の統合が発表されてから、三行間で人事をめぐり激し い争いがあり、有能な人間がドンドン辞めていっているともい われていた。
会社が合併するとなると、人事をめぐって争いが 起きるのは必然的なことだが、とりわけ日本ではそれが激しい。
そして銀行ではとりわけそれが目立つ。
かつて昭和の初めに大阪に本店のある三十四、山口、鴻池 の三つの銀行が合併して三和銀行ができたが、これが「一つの 銀行」になったのは三〇年以上たってからだといわれた。
合併 前に旧三行に入行した行員が定年でみんな辞め、三和銀行に なってから入行した行員だけになったとき、初めて「一つの銀 行」になったというわけだ。
「規模の経済」は働くか このように合併とは難しいものだが、それでも経営者が合 巨大企業のトップは、なぜ経営判断を誤るのか。
彼らは豊富な情報を持ち、それを分 析する専門部隊も抱えている。
しかし、そこから上がってくる情報を判断する能力が決 定的に欠如している。
過去の失敗に学ぶことで判断力を養成する必要がある。
59 JUNE 2002 おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
主な著書に「企業買収」「会 社本位主義は崩れるか」などがある。
合併するということはどういうことか、合併によって「規模の 経済」性が働くのか。
人事争いはどうなるのか。
というような ことを深く考えていたとは思えない。
そして過去の合併の歴史 や外国の歴史について学ぶということをしていない。
失敗の歴史から学べ 要するに合併についての判断力がないのである。
そこで経営 者が思いつきで合併を決める。
あるいは料理屋で経営者同士 が酒を飲みながら「時に、合併はどうですか」「いいですネ」 といった式の話し合いで合併を決める。
というようなケースが 多い。
かつての八幡製鉄と富士製鉄の合併(新日鐵)もそう だった。
こんな「思い付き合併」が日本には多い。
それでも日本の産業構造が重化学工業化を進めている段階 ではうまくいった。
というのはそこではまだ、「規模の経済」 性が働いていたからだ。
しかし時代はもはやそういう状況では ない。
脱重化学工業化で、産業構造はサービス化、情報化を 進めており、IT革命がいたるところで進行している。
自社で 巨大な設備を持たなくても、パソコン一台あれば世界の各地か ら材料や部品を集めることができる。
しかもお隣の中国が安い 労働力で「世界の工場」になっている。
こうしてもはや「規模の経済」性を追及する時代ではなくな っている。
とりわけ銀行などのような産業では以前から「規模 の経済」は働かないのではないか、といわれていた。
現にこれまでの日本の銀行合併を振り返ってみると失敗し たものが多い。
戦時中に三井銀行と第一銀行が合併して帝国 銀行になったが、戦後になってこの合併は失敗だったことが あきらかになったところから再び第一銀行と三井銀行に分か れた。
さらにその第一銀行は今度は三菱銀行と合併しようとして 失敗し、第一銀行を創った渋沢栄一の血筋を引くといわれた 長谷川頭取は合併失敗で第一銀行を追われた。
そのあと第一 銀行は日本勧業銀行と合併して第一勧銀となったのだが、こ の通称DKBは「デクの棒銀行」といわれた。
「ひとつ屋根の 下に二つの銀行」ともいわれたが、いつまでたってもD(第 一)とK(勧業)系が人事で争い、「たすき掛け人事」が続いた。
その第一勧銀が今度は富士、興銀と一緒になろうというの だから、どう考えてもこれには合理的な根拠がない。
なによ り過去の合併の失敗から学ぶという姿勢が経営者にはない。
合 併について考える判断力がない。
判断力のない経営者 日本の経営者は情報はたくさん持っている。
会社の中には 調査部とか企画部などという組織があり、大企業になるとシ ンクタンクを別組織で抱えているところもある。
そこには世 界中のあらゆる情報が集まっているだろう。
しかしこの情報 をどう判断するかが大事なのだが、その判断力が経営者にはない。
もともと彼らは判断力を養成するような教育を受けて いないのだ。
そこでこれまではアメリカのやり方を真似するし かなかった。
そういう判断力の欠如が合併などの場合にはっきりとあら われる。
あるいは企業スキャンダルのような場合にもそれがあ らわれる。
雪印乳業の社長などはその見本だが、これまでの 銀行スキャンダル、証券スキャンダル、あるいは総会屋事件 などでわれわれは日本の経営者に判断力がいかに欠如してい るか、ということを見せつけられてきた。
今回のみずほグループのシステム障害は単に三行間の派閥 争いという次元の話ではない。
それを起こさせた真の原因は そもそも三行合併の失敗というところにあった。
そしてその 合併の失敗をもたらした原因は経営者の判断力の欠如という ところにあったといえる。
三行の統合をもはや元にもどすことはできないかもしれな い。
しかし、この失敗から他の銀行は学ぶべきである。
そし て銀行以外の産業界でも経営者は単に規模の大きさを求めた 合併は失敗するということを学ぶべきだ。

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