ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2003年6号
判断学
スパイ・ゾルゲの教訓

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 第13回 スパイ・ゾルゲの教訓 71 JUNE 2003 映画「スパイ・ゾルゲ」 篠田正浩監督が数年かけて撮っていた映画「スパイ・ゾル ゲ」が遂に完成して六月一四日公開されることになった。
それに照準を合わせるかのようにゾルゲ事件に関連した本が 次々と出版されている。
岩波現代文庫ではF・W・ディーキン、 G・R・ストーリィ著、河合秀和訳『ゾルゲ追跡』、リヒャル ト・ゾルゲ『獄中手記』、尾崎秀実『ゾルゲ事件上申書』、尾崎 秀実『愛情はふる星のごとく』が出版されているし、角川文庫 では尾崎秀樹『生きているユダ』、石井花子『人間ゾルゲ』、N HK取材班『国際スパイ ゾルゲの真実』などが出ている。
い ずれも以前になんらかの形で出版されていたものを文庫化した ものだが、そこへいよいよ映画が封切られるというわけで、一 種のゾルゲ・ブームになっているともいえる。
それにしてもゾルゲ事件についてはたしてどれだけの人が覚 えているだろうか。
ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲが 日本でいろいろな人に接触して戦争に関する情報を入手してソ 連に知らせたというので摘発され、死刑にされた事件である。
そのゾルゲに協力したのが元朝日新聞の記者であった尾崎秀 実で、彼も死刑になったが、彼が家族にあてた獄中書簡が『愛 情はふる星のごとく』という題で戦後出版されて、ベスト・セ ラーになったことを年輩の人なら覚えているだろう。
ゾルゲの日本でのスパイ活動で最も重要だったのは太平洋戦 争で日本は北進してソ連を攻めるか、それとも南進してシンガ ポールやインドネシアを攻撃するか、という判断だった。
そのためにゾルゲは近衛内閣の要人とも接触し、そして尾崎 秀実の情報を利用したという。
そしていよいよ日本は南進する という決定を知ってゾルゲはそれをソ連に通報したのだが、ス ターリンはその情報を無視したといわれている。
先に挙げたディーリン、ストーリィの『ゾルゲ追跡』の訳者 である河合秀和氏は筑摩書房から出た本の『訳者あとがき』で、 「ゾルゲが日本で収集したいわゆる『国家の最高機密』が、成 日本やドイツの最高機密をソ連に送り続け、最後は特攻警察によって捉えら れ、死刑になったスパイ・ゾルゲが一種のブームになっている。
ゾルゲと、そ の協力者として同じく死刑に処された尾崎秀実は、日本の社会科学者に最も欠 けている判断力を持っていた。
熟した社会科学者にとってはいわば常識の枠を大きくはみ出す ものではなかった」(三〇五頁)と書いているが、はたしてそ ういえるだろうか。
当時、日本の社会科学者で、日本が北進するか、南進するか の判断ができるような人がひとりとしていただろうか。
尾崎秀実の判断力 ゾルゲ事件では日本側の主犯役とされたのが尾崎秀実だった が、私は以前から尾崎秀実に関心を持っていろいろ調べてきた。
ゾルゲや尾崎秀実に関する本はほとんど読んできたし、多磨霊 園にあるゾルゲと尾崎秀実の墓にも参ったことがある。
数年前、岐阜県の加茂郡白川村にある尾崎家の墓にも参った。
尾崎秀実は東京で生まれ台湾で育ったのだが、父親は白川村の 出身で尾崎家の墓はそこにある。
私は尾崎秀実を 日本が生んだ最高のジャーナリストとして 尊敬してきた。
彼が朝日新聞の記者をしている時にいわゆる西 安事件が起こった。
国民党の蒋介石が西安で張学良に捕らえら れたという事件だが、これで国民党と共産党の対立は激しくな り、中国は内乱状態になると多くの人は考えた。
ところが、尾崎秀実は、逆にこの事件によって国民党と共産 党の協力=国共合作が実現すると当時の「中央公論」に書いて 評判になった。
はたして彼の言う通りになったのだが、ジャー ナリストとしての優れた判断力が発揮されたものといえる。
では、なぜ尾崎秀実はそのような優れた判断力を持っていた のか。
特殊な情報ルートがあったのか。
そうではない。
彼は朝日新聞の上海特派員になるとともに、 午前中は上海地区で発行された中国語、英語、日本語のいく種 類もの新聞を読むということを日課としていた。
そして赤鉛筆 を片手にどんな小さな記事や広告にまで細心の注意を払って読 んだ。
彼は一高時代の友人である羽仁五郎から教えられて、上海特 派員になる前からこういう生活をしていたといわれるが、羽仁 第13回 スパイ・ゾル 本の社会科学者は何をしているか。
例えば、経済学ではアメリ カから直輸入した理論がそのまま日本で教えられている。
日本の経済学者はまず日本の大学でそういう輸入理論を学ん だあと、本場のアメリカに留学して、今度は自分で最新の理論 を日本に輸入してそれを学生に教える。
そうして育った経済学者は、アメリカの経済学の教科書に書 いてあるのが正しく、それに合っていない日本の現実が間違っ ていると言うのである。
このような輸入理論がいかに日本の社会科学者を駄目にした か。
福本イズムの経験から学ぶべきなのに、今日でも相変わら ず輸入理論が横行している。
日本には経済学はない。
あるのは「経済学」学ばかりと言っ たのは都留重人氏だが、その都留氏を含めて外国理論の輸入が 本職のような学者が多い。
日本にいるのは経済学者ではなく、外国理論の輸入業者ばかりである。
このことが経済学者の判断力を鈍らせているだけでなく、と んでもない禍いを国民にもたらす。
最近の経済学者のこうした 状況については本連載の第十一回で触れた通りだ。
情報を評価する能力 さて話を元に戻して今度の「スパイ・ゾルゲ」という映画だ が、それはどのように受け取られるだろうか。
いまさら戦前のソ連と日本の関係など取り上げても興味のあ る人はいないかもしれない。
それとも単なるスパイ物語として 受け取る人もいるかもしれない。
篠田正浩監督がどういう意図 でこの映画を作ることになったのか。
興味あるところだが、本 稿を書いている段階ではまだ映画は封切られていないので、そ れを見てからでなくては何とも言えない。
私はゾルゲよりも尾崎秀実に関心を持ってこれまでゾルゲ事 件に関連のある本を読んできたのだが、ゾルゲその人に興味が ないわけではない。
ゾルゲは『獄中手記』のなかで次のように書いている。
五郎はドイツに留学していたころ大内兵衛や有沢広巳などが毎 日、ドイツの新聞を丹念に読んでいるのを見て、尾崎秀実にも それを勧めたといわれる。
新聞記者の仕事はいかにして情報を集めるか、ということで あるが、しかしいくら情報を集めてもそれを判断する力がなけ ればなんにもならない。
それどころか、いわゆるガセネタにだ まされてとんでもない判断をすることがよくある。
新聞を丹念に読んでそれから判断していく。
この単純なこと が最も大事なのである。
私は毎日、最低一時間はかけて新聞を 読んでスクラップ・ブックを作るという生活をもう何十年もし ている。
尾崎秀実の教訓から学んだというわけではないが、こ れによって判断力を養ってきたのである。
外国理論の輸入業者 尾崎秀実が新聞記者として判断力を培っていたころ、日本の 社会科学者は何をしていたか。
当時、日本の社会科学者の間で流行していたのは福本イズム である。
山口高商の教授であった福本和夫がドイツに留学して、 ドイツで流行していたルカッチやコルシュの理論を日本に持ち 帰った。
そしてこの輸入理論を日本に流行させたのが福本イズ ムであったが、なにしろ日本には自分で理論を作っていくとい う伝統がなく、昔は中国、そして明治以後はヨーロッパやアメ リカの理論を輸入し、それをそのまま日本に適用するのが学問 だという風潮があった。
福本イズムはまさにその見本のようなものだが、こういう輸 入理論によっていかに日本の社会科学者が毒されたことか…。
鶴見俊輔氏は『転向』という本の中で、尾崎秀実はこの福本 イズムとは全く反対のやり方をしたものだとして高く評価して いる。
彼の言うように輸入理論からは誤った判断しか生まれて こない。
先に河合秀和氏の文章を引用したが、河合氏は昭和初 年の日本の社会科学者の実態を知らないのではないか。
しかし、これは福本イズムに限られた話ではない。
現在の日 おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
主な著書に「企業買収」「会 社本位主義は崩れるか」などがある。
73 JUNE 2003 「日本におけるわれわれの謀報目的を首尾よく達成しようと 思えば、われわれの使命に少しでも関係のある問題については 全て深い理解をもつ必要があるというのが私の信念であった。
…情報の収集もそれ自体大切なことには相違ないが、情報を 吟味し、政治を全体的に捉えてこれを評価する能力こそもっと も大切だと私は信じていた」 そこでゾルゲは日本の歴史を古代に遡って勉強し、日本の外 交政策がどのようにして作られていったかを学んだという。
これまでゾルゲ事件について書かれたものを読むと、いかに してゾルゲがオットー大使などのドイツの外交官に取り入り、 そして近衛内閣の要人にいかにして接近したか、という話が多 い。
スパイ事件としてみれば、このような要人の情報が大事で あろうが、しかしゾルゲ自身が書いているように、いくら情報 を集めても、それを評価する能力、すなわち判断力がなければ なんにもならない。
ゾルゲは旧ソ連、現在はアゼルバイジャン共和国の首都にな っているバクーで生まれたが、その後ベルリンで教育を受け、 ドイツ共産党員となった。
そしてコミンテルンの本部で働くよ うになったところからソ連のスパイとなったのだが、社会科学 者としての素養があり、コミンテルン時代にはドイツ問題につ いて論文を書き、一九二七年には『ドイツ帝国主義』という 本も書いている。
この本は戦前、日本でも翻訳出版された。
社会科学者にとって最も重要なのは判断力である。
このこ とを私はゾルゲや尾崎秀実から学んだのだが、日本の社会科学 者に最も欠けているのが、この判断力である。
この連載もそう いう観点から書いているのだが、ゾルゲ事件はその絶好の材料 だといえる。
尾崎秀実の『愛情はふる星のごとく』が戦後まもなく出版 されてベスト・セラーになったが、私も少年時代これを読んで 感動したものである。
その後、文庫本で何回も読み直したが、 そのたびに感動させられた。
木下順二の劇作『オットーと呼ばれる日本人』も尾崎秀実をモデルにしたもので、それが『世界』に発表された時から読 んできた。
今回の『スパイ・ゾルゲ』という映画は長い間待っていただ けに楽しみだ。

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