ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年12号
新潟レポート
新潟中越地震のロジスティクス

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

〜なぜ十日町市は成功したのか〜 現地レポート  水や食料品の確保に奔走する市町村職員。
救援物 資の到着遅れに苛立つ避難住民――。
新潟県中越地 震が発生した当初、被災地では救援物資のロジスティク スが混乱を極めた。
ただし十日町市だけは例外で、地震 発生直後から救援物資の調達、避難所への配送までを 円滑に処理できたという。
成功の秘訣は何だったのか。
一連の行動を検証する。
        (刈屋大輔) 新潟中越地震の ロジスティクス DECEMBER 2004 8 物流マンを現地に派遣 「われわれを見殺しにするつもりなのか」 一〇月二三日に発生した新潟県中越地震で家屋の 損壊などの被害に遭い、近くの小中学校や公民館な どに避難していた被災者たちの不満は日を追うごとに 高まっていった。
水や食料品などの救援物資が全国各 地から続々と寄せられている。
テレビや新聞でそう報 道されているにもかかわらず、自分たちのもとには十 分に届いていないからだ。
いったい、いつになったら 救援物資は避難所に到着するのか。
被災者が救援物 資の受け入れ先である県や市町村の職員を問い質して いる光景を避難所のあちらこちらで目の当たりにする ようになった。
九五年の阪神淡路大震災では救援物資の供給が遅 れた影響で、被災地で水や食料品が法外な値段で売 買されるという事態に陥った。
その二の舞だけは避け ようと、今回の地震では各自治体や企業が被災した 市町村への救援物資の提供を急いだ。
その結果、早 くも地震発生の翌日には救援物資の第一便が現地に 到着。
二五日、二六日になると救援物資のボリューム はさらに増え、被災した市町村の保管スペースはあっ という間に埋め尽くされた。
ところが、全国から集まった?善意〞が被災者にな かなか手渡されない。
市町村が避難所に救援物資をス ムーズに送り込めず、保管場所に滞留させてしまった ためだ。
救援物資の供給担当に任命された市町村の 職員たちはいずれも物流の経験に乏しい。
何をどれだ け避難所に届ければいいのか。
市町村→避難所までの 配送に使用するトラックをどうやって手配すればいい のか。
右も左もわからず、パニック状態に陥っていた。
被災地のある市職員は「救援物資を積んだ大型ト 9 DECEMBER 2004 ラックが昼夜を問わず、次から次へと市役所に到着す る。
トラックから救援物資を荷下ろしして倉庫に格納する作業で手一杯だった。
救援物資を配送したくても、 何がどれだけ必要なのか、避難所から情報がほとんど 入ってこない。
荷受けした膨大な量の救援物資をどこ に置いたのかさえ分からなくなった。
対応が後手に回 り避難住民たちに迷惑を掛けてしまった」と振り返る。
被災者たちの怒りは地震発生から四日目の二六日 に被災地を視察した小泉純一郎首相にぶつけられた。
「激励の言葉はいいから、まずは私たちのもとに救援 物資がきちんと届くようにしてほしい」――。
被災地 の窮状を知った小泉首相は帰京後、首相官邸に村田 吉隆防災担当相と麻生太郎総務相を呼び、「救援物資 が隅々まで行き渡らせるため、物流面での対策を講じ る」よう指示した。
政府の要請を受けて、国土交通省は二八日、被災 地に物流の専門家を派遣することを決めた。
トラック 運送会社など物流企業からボランティアを募って、社 員(物流専門家)を現地に送り込む。
そして派遣した 物流専門家に救援物資の荷受け、倉庫への格納、避 難所への配送までを一括で管理させる。
それによって 救援物資の供給を円滑化しようという試みだ。
早速、 三〇日には被害の大きかった小千谷市、長岡市に物 流専門家を派遣、事態の収拾に乗り出した。
効果は絶大だった。
市役所に救援物資が溢れかえ っていた小千谷市では荷受けから仕分け、配送までの 流れがスムーズになり、避難住民に水や食料品が十分 に行き届くようになった。
一方、地震発生当初は荷下 ろし要員の確保すらままならなかった長岡市でも 「?物流のプロ〞による指導で、救援物資を市内各地 に分散して保管する体制に改めた。
救援物資がどこに どれだけあるのかを正確に把握できるようになった。
救援物資の滞留は徐々に解消されていった」という。
こうして被災地における救援物資のロジスティクス の混乱は沈静化に向かったものの、現在も市町村の初 動の拙さに対する被災者たちの批判の声は後を絶たな い。
避難所生活を強いられた五〇代の女性は「避難 所に運び込まれた食料品の数が足りず、食事を食べら れないことも少なくなかった。
救援物資の供給が安定 し始めたのは地震発生から一週間以上が経過してから。
いくら何でも遅すぎる。
贅沢なことは言えないが、せ めて食事だけでも始めからきちんと用意してほしかっ た」と漏らす。
十日町市だけは例外 救援物資をめぐるドタバタ劇が繰り広げられる中で、 「有事のロジスティクス」を見事に成し遂げた被災地 があった。
震源地の南部に位置する十日町市だ。
同 市は死者六人、重軽傷者約五〇〇人を出すなど大き な被害に見舞われたが、被災直後から避難所に救援物資を円滑に供給し続けることができた。
もっとも、ピーク時には避難所の数が一〇〇カ所を 超え、避難住民の数が一万三〇〇〇人に達した同市 でも地震発生から二〜三日間は一部地域で水や食料 品の過不足が生じるなど多少の混乱は見られた。
しか し、二七日以降はほぼ完璧に物流のオペレーションを やってのけた。
三〇日に実施された物流専門家の派遣 でようやく救援物資の供給が落ち着き始めた小千谷 市や長岡市と比べると、立ち直りの時期は早かった。
いったい誰が現場を仕切ったのだろうか。
実は同市 では物流専門家の派遣を辞退している。
国土交通省 自動車交通局貨物課によると、「すぐに専門家を派遣 してほしいと申し出た被災地がほとんどだったが、十 日町市だけは例外だった。
聞けば、市に物流に詳しい 死者6人、重軽傷者500人を出 した十日町市の災害対策本部 市役所の入り口付近に設け られた救援物資の受付窓口 DECEMBER 2004 10 職員がいて、救援物資の調達から避難所への配送ま での仕組みをあっという間に構築してしまったそうだ。
同市からは『ウチはもう大丈夫です』という連絡が入 った」という。
しかし実際に現地に出向いて取材を進めてみると、 事実は多少異なっていた。
同市には貨物課が説明した ような?物流のプロ〞は存在しなかった。
救援物資の ロジスティクスで活躍したのは、地震発生直後に急遽 結成された「物資担当チーム」だった。
同チームのス タッフ二〇人が持ち寄ったアイデア、そして物流の素 人とは思えない現場での的確な判断や行動が救援物 資の安定供給につながった。
十日町市の成功の秘訣は何だったのか。
これに対し て、対応に手間取った他の被災地には何が足りなかっ たのか。
時計の針を地震発生直後まで戻して、同市の 行動を振り返ってみよう。
在庫管理リストを用意 十日町市に最初に救援物資が到着したのは二四日 朝だった。
防災相互応援協定を締結している和光市 から水と食料品が届いた。
以降、同市には全国の市 町村や企業、各種団体から次々と救援物資が送り込 まれた。
「物資担当チーム」のスタッフたちは市役所 の正面入り口に横付けされた大型トラックから救援物 資の詰まった段ボールを運び出し、庁舎内の空スペー スに山積みしていく作業に追われた。
ここまでの行動は他の被災地とまったく同じだ。
た だし、十日町市は単に救援物資を保管スペースに移 動させるだけではなく、「在庫管理リスト」を用意し ていた。
いつ、どこから、何が、どれだけ届いたのか を一つひとつチェックしてリストに記載していったの である。
しかもリストには救援物資のローケーション (保管場所)をきちんと明記した。
さらに救援物資を 荷受けする窓口を一本化して、到着した救援物資が 空スペースに勝手に置かれるのを防いだ。
在庫リストはそれほど複雑ではない。
市販の表計算 ソフトを利用して作成したものだ。
保管場所別に救援 物資の「品目名」と「ケース数」を記入できるスペー スを用意。
荷受け時に「品目名」と「ケース数」をリ ストに書き加え、出荷(避難所に供給)した分だけそ の数を減らしていく。
在庫引き当てはそんなやり方だ ったという。
「在庫管理リストの用意は土木部に所属する、ある 女性スタッフのアイデアだった。
誰が指示したわけで もなかった。
彼女が自分の判断で救援物資の在庫管 理を始めたようだ。
彼女には恐らく物流の経験はない と思う。
地震発生直後は当市もドタバタしたが、在庫 管理リストを使い始めてからはモノの流れがスムーズ になった」と物資担当チームを統括した十日町市市民 生活課の市川講課長は述懐する。
一方、救援物資を滞留させてしまった被災地にはこ のような在庫管理の発想が欠落していた。
全国各地か ら集まった救援物資を庁舎内や近隣の倉庫の空スペ ースに無秩序に置く。
救援物資がどこにどれだけある のか、在庫数が分からなくなる。
そして避難所から要 請があると、担当者が保管場所を駆け回って目的の 救援物資を探し出して出荷していた。
結果としてオペ レーションに時間が掛かってしまった。
十日町市では各避難所でどんな救援物資がどれだ け必要なのか、という発注情報の収集にも工夫を凝ら した。
各避難所に連絡員(発注担当)を配置、救援 物資の必要量を計算させ、決まった時間に災害対策 本部もしくは物資担当チームに報告させるルールを設 けた。
本部は連絡員からの情報を集計して供給量を 被災した市町村 発注 救援物資のサプライチェーン ●全国の市町村 ●各種団体 ●一般市民 ●十日町市 ●小千谷市 ●長岡市 など 新潟県 災害対策本部 避 難 所 十日町市ではピーク時に避難住 民の数が1万3000人に達した (写真は同市内の損壊現場) 11 DECEMBER 2004 決定。
各保管場所に仕分け、配送作業の指示を出した。
これとは対照的に、他の被災地では避難住民の数から本部が必要量を予測して救援物資を供給してい た。
つまりトップダウン型だったのである。
そのため、 連絡員から情報を吸い上げて実需に基づいて供給を 展開できた十日町市に比べ、正確な必要量が把握で きない分、避難所で救援物資の過不足が発生するケ ースが少なくなかった。
輸送力確保の面でも対応のスピード差は歴然として いる。
十日町市では地震発生直後にヤマト運輸の長 野主管支店に協力を要請。
配送用トラック十二台の 手配に漕ぎ着けた。
被災した地域を六つのブロックに 分けて、それぞれ二台ずつ配車。
各トラックが朝、昼、 夕方の一日三回、避難所を巡回して救援物資を配送 する体制を早急に整備した。
「ヤマトによる配送トラックの無償提供は十一月三 日まで続いた。
車両だけでなく、ドライバーも提供し てくれたのがとても助かった。
実はヤマトのドライバ ーからは配送ルートの策定でも色々とアドバイスをも らった。
物流のプロの助言がなくて、われわれだけで 配送ルートを組んでいたら、救援物資の配送に支障を 来していたと思う」と市川課長は打ち明ける。
これに対して、他の被災地ではトラックの手配が思 うように進まなかった。
例えば小千谷市では地元のト ラック協会から車両の提供を受けるまで、公用車や市 職員の自家用車配送を余儀なくされたという。
新潟県中越地震の教訓 新潟県災害対策本部のまとめによると、十一月十 九日現在、避難所の数は一二八カ所、避難住民の数 は約七九〇〇人にまで減少している。
避難勧告の解 除が進み、被災者たちは徐々に日常生活を取り戻しつ つあるが、今もなお震度三〜四クラスの余震が断続的 に発生しており、予断を許さない状態が続いている。
避難住民の数が減り、さらに各種ボランティアやト ラック運送会社の支援が相次いでいることもあって、 地震発生から約一カ月が経過した現在、被災地にお ける「救援物資のロジスティクス」には混乱は見られ ない。
避難所生活を続けている人々も救援物資の安 定供給に満足している様子だ。
十日町市の七〇代の 女性は「現在では必要なものが何でも手に入るように なった。
本格的な冬を目前に控え、暖房機器なども届 き始めている。
全国の皆さんや市の職員の皆さんの支 援や協力にとても感謝している」と話す。
阪神大震災に続き、今回の新潟県中越地震でもい かに被災者に救援物資をスムーズに供給するかが大き な課題となった。
阪神大震災の教訓を生かし、各自 治体や企業が被災地に救援物資を迅速に送り届ける ことができた点は評価できる。
ただし、救援物資が殺 到したことで被災地の保管スペースがパンクし、それが原因で避難所への配送が滞ってしまった責任の一端 が供給サイドにあることもきちんと認識しておくべき だろう。
何を、どれだけ、どのタイミングで欲しいか。
被災地の意向を聞いてから救援物資を送るといった配 慮が必要だったのではないだろうか。
一方、被災地側の反省点は、有事の際に「救援物 資のロジスティクス」をどうコントロールしていくか というシミュレーションを怠っていたことだ。
図らず も十日町市の対応は格好のモデルケースとなった。
今 後、全国の各自治体は災害に備えて、救援物資の調 達から在庫管理、配送までの一連の流れをもう一度 整理したうえで、実際に誰が現場を取り仕切るのか、 企業でいうところのCLO(ロジスティクス最高責任 者)をあらかじめ決めておくべきだろう。
救援物資の保管場所になった 十日町市の体育館。
全国から 集結した食料品や雑貨が山積 みされている 十日町市が用意した在庫管理リスト 現地レポート

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