ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年9号
特集
物流の「現場力」 できるセンター長の運営ノウハウ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

SEPTEMBER 2004 16 史上最年少のセンター長 静岡県磐田郡浅羽町にあるハマキョウレックス浅羽 営業所。
地場の食品スーパーの店舗向けに商品を仕 分け、配送する同営業所を切り盛りしているのは倉田 晃所長だ。
一九七五年生まれの二九歳。
昨年五月に センター長に就任した。
現在、約一五〇人の部下を 率いて日々の業務に従事している。
ハマキョウは全国各地で主に流通業向けの物流セン ターを展開している。
センターは計三〇カ所。
その数 は年に五〜一〇カ所のペースで増え続けている。
セン ター長の平均年齢は四〇歳弱。
二八歳という若さで 現場のトップに抜擢された倉田所長はハマキョウ史上 最年少のセンター長である。
ハマキョウでは能力のある人材であれば、経験や年 齢を問わずに登用する。
プロパーが優遇されることも なければ、中途採用が冷遇されることもない。
大卒、 高卒の学歴も関係ない。
どんな経歴の社員にも平等に チャンスが与えられる。
「最年少センター長としてのプレッシャーを感じた ことはない。
浅羽センターに配属されて今年で七年目 を迎えた。
ここの現場のことは誰よりも理解している つもりだ。
今ではセンターで働くメンバーのほとんど が自分よりも若い。
そのため、遠慮せずにガンガン仕 事ができる」(倉田所長)という。
倉田所長は一九歳でハマキョウに入社した。
きっか けは同社の大須賀正孝社長と古くから付き合いのあっ た父親の勧めだった。
「浜松に面白い運送会社がある。
そこの社長さんにお願いしてやるから修業させてもら え」――。
警察官だった父親にそう言われて、連れて こられたのがハマキョウだった。
入社後、本社での一週間の研修を経て、まずハマキ ョウのグループ会社「スーパーレックス」に配属され た。
勤務地は同社が神奈川県で運営するイトーヨーカ 堂向けの物流センターだった。
ここで現場作業員の一 人として、荷受け、ピッキング、出荷作業といったセ ンターオペレーションの基礎を学んだ。
神奈川での約一カ月間の現場研修を終えると、今 度は札幌に異動となった。
ミッションはヨーカ堂向け 新センターの立ち上げ。
ベテラン社員とたった二人で 札幌に乗り込んで、センター稼働まで漕ぎ着けるよう に、という少々乱暴な業務命令だった。
「まさにゼロからセンターを立ち上げるという仕事 だった。
センターで働いてもらうパートタイマーの募 集から協力運送会社の選定、現場作業など何でもや らされた。
赴任後はしばらく休みなしで働き続ける羽 目になった。
体力的にもしんどかったが、札幌での経 験がとても役に立っている」と倉田所長は振り返る。
当初の予定では新センターが安定稼働期に入るまで、 札幌勤務が続くはずだった。
ところが、およそ一年で 浜松に舞い戻ることになった。
ハマキョウへの就職を 勧めてくれた父親が急死したためだ。
この転勤は大須 賀社長の配慮だった。
そして新たに配属先されたのが 後にセンター長として運営を任されることになる浅羽 営業所だった。
浅羽ではすぐに頭角を現した。
センター長から現場 の指揮を委ねられるようになるまで、それほど時間は 掛からなかった。
トントン拍子で出世して気がつけば、 所長代理(センター長代理)というポジションにおさ まっていた。
所長代理として数年間過ごした後、前任 のセンター長が本社に異動となったのを受けて、晴れ てセンター長の座を手に入れた。
「年齢が若い割には人をまとめるのがうまい。
性格 が穏やかで部下にも好かれるタイプ。
優しいだけでは できるセンター長の運営ノウハウ ハマキョウレックスの最年少センター長と、名糖運輸で“再 建屋”として知られるベテランセンター長。
2人の辣腕センター 長に共通するのはコスト管理を徹底している点。
そして物流現 場で働く従業員たちの声にきちんと耳を傾ける姿勢だ。
(刈屋大輔) 第3部 第4部 第5部 KEY PERSON Case Study 17 SEPTEMBER 2004 特集 物流の 現場力 ない。
飴とむちを上手に使い分けることができる。
最 年少のセンター長でも何も心配はしていない」と大村 房雄取締役は倉田所長が持つセンター長としての能 力の高さを評価する。
「作業別予算管理」を考案 本誌で連載中の「やらまいか物流通業」(六八ペー ジ記事参照)でも何度か紹介されているが、ハマキョ ウではすべての営業所に「収支日計表」の記入を義務 付けている。
「収支日計表」とは一日にどれだけの収 入があり、どれだけのコストが掛かっているのかをき ちんと把握するためのハマキョウ独自の帳簿である。
もちろん浅羽営業所でも毎日欠かさず「収支日計表」 を記入している。
倉田所長の場合、営業所全体の数字にとどまらず、 「荷受け」「ピッキング」「出荷」といった作業部門別 に細かく数字を落とし込んだ「収支日計表」を作成し ている。
自分では「部署別予算管理」と呼んでいる。
この「収支日計表」の活用法は同社の他センターでは まだ採り入れられていない。
倉田所長の完全なオリジ ナルだ。
「営業所全体の収支の数字だと、現場のどの部分の 仕事に無駄が生じているのかを正確に掴むことができ ない。
これに対して作業別管理では問題を抱えている 箇所が一目瞭然だ。
全体の数字だけではその日の自 分の作業の収支がどうだったのか分からないが、作業 別なら結果がはっきりと出る。
従業員のやる気も違っ てくる」と倉田所長は説明する。
「日替わり班長制度」も導入している。
この制度は 従業員が毎日順番で現場のリーダーを担当するという ルール。
リーダーはその日の作業終了の目標時間を設 定して、朝礼もしくは昼礼で発表する。
そしてその目 標を達成するためにチーム(班)のメンバーが一丸と なって働く。
輪番制で班長職に従事させるのは仕事に 対する責任感を従業員全員に持たせるのが狙いだ。
それだけではない。
一時間当たりにどれだけ作業を 処理しているのか、従業員一人ひとりの作業生産性も 測定している。
生産性が低下しているようであれば、 すぐにその原因を調査して改善に取り組む。
逆に生産 性が上がった場合には、その成功の秘訣を従業員全 員に報告してノウハウを共有することで、生産性向上 に役立てている。
こうしてセンター長としての仕事ぶりを列挙してい くと、倉田所長のコストに対する厳しい姿勢ばかりが 前面に出てしまうかもしれない。
確かに倉田所長はコ ストにうるさい。
しかし、「決してガツガツした性格 ではない。
偉そうな態度も取らない。
現場に頻繁に足 を運んで、私たちに色々と声を掛けてくれる。
やさし い兄貴といった感じ」と浅羽営業所で働く従業員の 一人は評する。
現場では従業員たちとのコミュニケーションを重視 している。
その姿勢は大須賀社長から学んだ。
話の内 容、話し方、声を掛けるタイミングなどが絶妙で、パ ートタイマーたちのハートをがっちりと掴んで離さな い大須賀社長に一歩でも近づこうと、自らの?話術〞 に磨きをかける努力を続けている。
「センターを上手に運営するためのコツは現場との コミュニケーション。
現場で働く従業員たちの声にち ゃんと耳を傾けることが大切だ。
自分の意見や考え方 を無理に押しつけるのはよくない。
頭ごなしに怒鳴り つけたところで人は動かない。
みんなでセンターを盛 り立てていくんだというムードづくりが欠かせない」 と倉田所長は力説する。
倉田所長にとって当面の課題は人材の育成だ。
前 ハマキョウレックス 浅羽営業所の倉田晃所長 SEPTEMBER 2004 18 述した通り、ハマキョウでは年に五〜一〇カ所ずつ物 流センターが増えている。
それに伴い、センター長ク ラスの人材が慢性的に不足している。
これを解消する ため、既存のセンター長たちにはセンター長候補者の 育成という宿題が課せられてきた。
ハマキョウでは今年度から新たに「センター長資格 制度」を導入している。
「物流業務全般」「収支管理」 「安全管理」「労務管理」についての筆記試験と役員 面接に合格した社員にセンター長の資格を与えるとい う仕組みだ。
毎年二月と八月に実施されるこの試験に どれだけ受験者を供給できるか。
現職のセンター長た ちは従業員に対する教育能力を問われる。
「第一回目の試験に入社六年目の従業員を自信を持 って送り込んだ。
結果は合格だった。
センター長試験 は自分が日々行っている従業員教育が正しいのかどう かを確認するためのバロメーターとなる。
それだけに 合格者が出て一安心している。
今後も三年くらい現 場経験を積んだ従業員をどんどん受験させたい」と倉 田所長は意気込んでいる。
物流センター再建のプロ 埼玉県所沢市にある名糖運輸の埼玉物流センター。
延べ床面積約七〇〇〇平方メートル、二階建ての同 センターは名糖運輸が全国二八カ所に運営する物流 センターの中でも最大の売上規模を誇る。
現在、主に 飲料および乳飲料メーカーの商品を一時保管し、卸や 小売りの物流センターに納品するまでの物流業務を請 け負っている。
取引メーカーの数は大小合わせて一三 〇〜一五〇社。
一日に平均でトラック一〇〇台を動 かしている。
ここ数年、埼玉物流センターの業績は低調だった。
売り上げ、利益ともに伸び悩みが続いていた。
とくに 昨年は冷夏の影響で飲料の荷動きが低迷し、大打撃 を受けた。
ところが今年度は七月まで売り上げが前年 同期比五〇%増で推移。
利益もきちんと確保できて いるという。
連日の猛暑で飲料関係の出荷が好調なことが業績 の回復に貢献しているのは確かだ。
しかし、それだけ ではない。
今年三月にセンター長に就任した武渕晴好 所長の存在が大きい。
武渕所長は過去に業績悪化で 苦しんでいる数々の物流センターを短期間で立て直し てきた実績を持つ。
そんな?物流センター再建のプ ロ〞による荒治療がなければ、埼玉物流センターの好 転はあり得なかった。
「どんなに業績の悪いセンターに放り込んでも数年 で立て直してくれる。
彼に任せておけば、ほぼ間違い ない。
コスト削減のアイデアが豊富で、物流現場の細 かいところにまで目が届く。
社内では?再建屋〞とし てその名が通っている」と小島邦敏副社長は評価する。
武渕所長は二九歳の時、中途採用で名糖運輸に入 社した。
新聞の募集広告を見たのがきっかけだった。
経理事務として数年間サラリーマン生活を送った後、 東南アジア諸国の民芸品を並行輸入する会社を興し たが、軌道に乗せることができなかった。
当時は物流 にとくに興味があったわけでもない。
名糖運輸にはそ れこそ「なんとか食べていくために入社した」(武渕 所長)というのが本音だ。
最初に配属されたのは群馬県の営業所だった。
そこ で四〜五年間、トラックのハンドルを握った。
主に乳 製品を北関東の卸各社に納品する業務を担当した。
こ の群馬の営業所には約一五年間勤務し、その後調布 市の営業所に異動。
そこで初めて所長(センター長) を経験した。
次の勤務先は子会社の「トランスメイト」だった。
ハマキョウの浅羽営業所では作業終 了の目標時間と実際に終了した時間 を毎日チェックしている 19 SEPTEMBER 2004 特集 物流の 現場力 同社が栃木県に構える物流センターに配属。
ローソン やホットスパなどコンビニエンスストア向けの業務を 担当した。
そして再び群馬に戻った後、今年三月から 所沢市の埼玉物流センターに勤務している。
過去にセンター長を経験した調布、栃木、群馬のい ずれの営業所でも武渕所長は?再建屋〞としての実 績を残してきた。
武渕所長が得意とするのは営業活動 で売り上げを伸ばすことよりも、むしろ現場改善によ るコストダウンだ。
トラックの配送効率の見直しなど 現場作業の改善ノウハウには定評がある。
これを武器 に不振に喘ぐ物流センターを次々と黒字転換させてい った。
群馬の営業所では在任中、長引く不況による荷動 きの鈍化で減収を余儀なくされた。
それでも毎年の増 益を達成してきた。
それはまさに現場改善の賜物だっ た。
「減収でも増益を続けられたのは運が良かっただ け。
とくに難しいことに取り組んできたわけでもない。
実際に自分の足で現場を歩いてみて目に付いた無駄な 部分をちょっと直した程度」と武渕所長は振り返る。
名糖運輸では二〜五年くらいの周期でセンター長を ローテーションするようにしている。
業務のマンネリ 化を防ぐためだ。
長い期間、同じ職場に身を置いてい ると、非効率な部分があっても、次第にそれに気づか なくなっていく。
「入社八〜一〇年目の中堅社員をセ ンター長に抜擢して、ベテラン社員とは違ったアプロ ーチで現場改善に取り組ませるなどマンネリ化を防止 するための工夫を人事面でも凝らしている」と宇都信 泰人事部長は説明する。
泥臭い改善活動が得意 今回、武渕所長が再建を委ねられた埼玉物流セン ターに欠けていたのは現場で働く従業員たちのコスト 意識だった。
同センターでは高速道路の利用や配送ル ートの選択などはすべてドライバー任せ。
使用してい ない部屋の電気はつけっ放し。
売り上げ規模が大きい ということもあって、経費は使いたい放題。
現場の管 理があまりにも杜撰だった。
埼玉物流センターは関越自動車道の所沢インター の近くにあり、立地条件がいい。
そのためセンターの 保管スペースは常にいっぱいの状態。
昔から黙ってい ても顧客が集まってきた。
このように他のセンターに 比べて恵まれた事業環境にあったことが、逆に従業員 たちにとってはマイナスだった。
武渕所長は赴任後、最初にトラックの配送ルートの 見直しに着手した。
時間通りに目的地に到着すれば、 トラックはどんなコースを走行しても構わないという 従来の曖昧なルールを廃止。
目的地別にトラックの走 行ルートを固定した。
高速道路を利用できる区間も一 部に限定した。
「ひどい走行をしているトラックが少なくなかった。
所沢〜八王子という比較的近距離でも高速道路を使 用したり、いったん高速道路に乗ったものの、渋滞し ているため途中で下りて、一般道をしばらく走ってか ら、また高速道路に戻ったりしていた。
なるべく高速 道路は利用しない、急ブレーキや急発進をしないとい った普通の運送会社が当たり前のようにやっているこ とが、このセンターではまったくできていなかった」 (武渕所長)という。
配送ルート見直しの効果は絶大だった。
まずトラッ クの走行距離を大幅に短縮することに成功した。
一日 当たりで走行距離を約五〇キロ短縮できたトラックも あった。
イラク戦争などの影響で燃料価格が上昇傾向 にあるため、大幅なコストダウンには至らないものの、 燃料使用量の削減が進んだ。
そして高速道路料金の 名糖運輸埼玉物流センターの 武渕晴好所長 特集 物流の 現場力 SEPTEMBER 2004 20 支払額は従来に比べ年間に一五〇〇万円削減できる 見通しだ。
トラック一台当たりの積載率を高めるための工夫も 凝らした。
これまでは商品が積みきれないという事態 を避けるため、ある程度多めにトラックを準備してい た。
これを改め、出荷量に見合うだけのトラックを用 意するようにした。
仮に配車を終えた後に追加で出荷 が発生した場合でも、協力運送会社のトラックを手配 するのでなく、自社社員がハンドルを握って対処する ことで、無駄な傭車費の支払いを抑えている。
もっと泥臭い改善事例もある。
外気を遮断する目 的で物流センターに備え付けられているドックシェル ターに隙間が空いていた箇所があった。
この隙間をふ さいでセンター内に熱気が進入してくるのを防ぎ、セ ンター内の温度を上昇を抑えた。
そうすることで電気 代を節約したのである。
「センターをよくしていくコツは現場で行われている 作業の内容を自分自身できちんと理解すること。
それ ができなければ、悪い部分が見えてこない。
このセン ターのような大規模な施設になると、現場のすべてを 掌握するのは不可能だ。
だから目についたところだけ に集中的に手を加えればいい。
コスト削減というのは 日々の地道な努力の積み重ね。
粘り強く活動を続け れば、きっと成功する」と武渕所長は力説する。
降格人事も経験 入社二四年目、今年で五一歳となった武渕所長の これまでのキャリアは順風満帆だったわけではない。
所長からその下の次長へ降格した経験もある。
上司と 衝突したことが原因だった。
目先の業績を重視する上 司と、中長期的な視点からセンターへの設備投資を積 極化すべきだと主張した武渕所長とで意見が食い違い、 ケムたがられた。
再び所長に昇格するまでの約一年間、武渕所長は 自分自身のモチベーションを下げないようにすること に必死だった。
まず本を読み漁った。
ジャンルは現場 改善から企業経営、自己啓発モノまで多岐に渡った。
本から学んだのは、人には色々な考え方や見方がある、 お互いの良い部分を尊重し合うことが大切だ、という ことだった。
時間的な余裕が生まれたため、資格の学校にも通っ た。
毎週土・日曜日の週二回、午前九時から午後四 時まで中小企業診断士の講座を受講した。
最終的に 資格の取得には至らなかったものの、「労務管理など 物流センター長の仕事に役立つ講座も少なくなかった。
とてもいい勉強になった」(武渕所長)という。
結果的には次長への降格もマイナスばかりではなか った。
自分自身を見つめ直すいい機会になり、人の意 見に耳を傾けることの大切さを学んだ。
会社経営や労 務などに関する法的な知識も増えた。
センター長の仕 事に復帰した現在、一年間の経験が色々な場面で活 きている。
名糖運輸では役職定年が五六歳に設定されている。
武渕所長が現在のポジションのままでいられるのはあ と五年だ。
すでに埼玉物流センターの再建は軌道に乗 りつつある。
役職定年を迎える前にもう一カ所、苦戦 を続ける物流センターの再建で本社に指名される可能 性がある。
しかし、武渕所長は「再建もやりがいのある仕事だ が、個人的には新センターの企画から立ち上げまでの 仕事も経験したい。
チルド系の物流センターはどこも 五〇〇坪程度の規模がほとんど。
二〇〇〇坪クラス の大型センターをゼロから手掛けてみたいという気持 ちもある」と新たな挑戦に胸を膨らませている。
名糖運輸の埼玉物流センターは配送ルートの見直しで大幅 なコストダウンに成功した

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