ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年4号
特集
トヨタ方式に挑む 経営者だけがしがらみを断ち切れる

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

すが、SCMというのは『企業経営』の世界の話です。
たまたまロジスティクスとSCMの狙いが非常に重な っているため、混同されているだけです」 ――もう少し具体的に教えて下さい。
「近年、注目されているROA(総資産事業利益率) という経営指標があるでしょう。
簡単に言うと、売上 高から経営コストを引いた『事業利益』を、企業が保 有している『総資産』で割って算出する指標です。
短 期的に経営を評価される米国では、このROAが経 営者自身の評価に直結するという伝統的な見方があ る。
そしてSCMはここから出てきました」 「では、ROAを改善するために、具体的に何をや ればいいのか。
まず分子の『事業利益』を大きくする のは当然です。
その一方で、分母の『総資産』(固定 資産、棚卸し資産、現金資産など)は小さいほどいい。
だからこそ棚卸し資産、つまり在庫にこだわる。
固定 資産として物流拠点を持っていることも分母を大きく する要因ですから、これも売却してアウトソーシング した方がいい。
他にも売掛金を早く回収するなど多く の施策がありますが、ロジスティクスの分野で大きい のが在庫を減らすことなんです」 ――同じ在庫を減らすという行為でも、SCMとロジ スティクスでは狙いが異なるわけですね。
「そういうことです。
いまSCMで経営者がやろう としているのは、ROAを改善するために、資産とし ての在庫を減らすことです。
これは従来の物流部門が 手掛けてきた物流コストの削減とは意味が根本的に違 う。
過剰在庫があるためにムダな輸送費や保管料が発 生しているというのは、あくまでもROAの算出式で いうところの分子の話です」 「欧米でサードパーティ・ロジスティクスなどという 概念が出てきたことも、そういう背景を考える必要が SCMブームの思わぬ副産物 ――日本でロジスティクスという言葉が定着してから、 すでに一〇年以上が経過しました。
しかし、ロジステ ィクスへの理解が進んだとは思えません。
「いや、そんなことはありません。
九〇年代末のS CMブームは、その良し悪しは別として日本企業の経 営に大きなインパクトを与えました。
本来の意味での SCMは期待されたほど進んでいませんが、思わぬと ころで効果が出た。
経営トップがロジスティクスに目 を向けたということです。
これは大きな変化です」 ――それ以前から多くの経営者がロジスティクスの重 視を口にしてはいました。
「従来の認識の多くは、ロジスティクスもしょせん は物流の発展したものに過ぎないといった程度でした。
ところがSCMというのは経営手法です。
だからこそ 経営者もSCMに注目したわけですが、この取り組み を進めるなかで改めてロジスティクスの重要性に気づ いた。
ロジスティクスというのは経営を変えるものだ と、経営者が肌で感じるようになったんです」 ――同じ横文字ですが、SCMとロジスティクスでは 経営者に訴えかける力がそれほど違いましたか。
「SCMというのは、決してロジスティクスの先進 型ではありません。
この二つの概念は、もともと育っ た土壌がまったく違う。
その点をきちっと押さえてお く必要があります」 ――ロジスティクスは一企業の話で、SCMは企業間 の話という理解では足りませんか? 「そういう見方も間違いではありません。
ただ、も う一つ別の見方があって、そこでは『物流』と『企業 経営』を明確に分けて考えなければいけない。
ロジス ティクスというのはあくまでも『物流』の世界の話で APRIL 2004 36 「経営者だけがしがらみを断ち切れる」 トヨタ方式は選択肢の一つに過ぎない。
企業は自らロ ジスティクス戦略を描き、過去のしがらみを断ち切ってい く必要がある。
資生堂の物流部門で、時代の変化に翻弄 されながらも最適解を模索し続けてきた重田靖男氏に、実 体験に基づくロジスティクス論を聞いた。
(聞き手・岡山宏之) 重田靖男 東京ロジスティクス研究所 顧問 第3部 トヨタ方式に挑む 第2特集 いかけるのは勇気のいる話ですね。
「もちろん模倣するだけでは話になりません。
そこで 開発力が問われます。
独創的な開発力がなければ、現 状を少し改善する程度で我慢するしかない。
それが多 くの企業の実態であることも事実です。
でも、そんな に否定的なことばかり言っていたら何もできません。
本当はやらないだけなんです。
恐くてできないといっ た方がいいいかもしれない。
デルは何もないところか らスタートしたからできたなどというのは、出遅れた 経営者の負け惜しみですよ」 ――では、メーカーの中で実際に在庫を減らす業務は、 どういう立場の人間が担うべきだとお考えですか。
「間違いなくロジスティクス部門がやるべき仕事で す。
そして、その権限を持つ以上は、在庫に対する最 終責任もロジスティクスが負わなければいけません」 ――とは言え、生産や営業が強い日本のメーカーでは、 多くの物流部門は製販の調整役に過ぎません。
「過去には経営トップがロジスティクスを理解していなかったから、そうなっていた面は確かにあります。
お前らは輸送だけしていればいい、という意識がどう しても抜けなかった。
ところがSCMという考え方が 普及したことで直接、トップが在庫を減らせと号令を 発するようになった。
でも従来の物流部にはそんな考 え方もスキルもないため、仕方なく『SCM本部』の ような部隊を新たに作り、そこに在庫削減をさせよう と考えた。
それだけの話であって、この仕事が物流部 門の領域から外れているという意味ではありません」 ――かつて重田さんが所属していた資生堂の物流部門 は、九〇年前後に総額四〇〇億円を投じて全国十一 カ所の物流拠点を整備しました。
それまで物流専業者 に任せていた物流管理業務を自ら手掛けるように方針 転換したわけですが、どんな背景があったのでしょう。
あるでしょうね。
ROAを重視する構図というのがま ずあって、これをロジスティクスの分野でいかに実現 していくかというときに、自ら資産を持つ必要のない アウトソーシングという選択肢が有力になってきたわ けです」 最後は経営者の意志決定の問題 ――熾烈なSCM競争が続くパソコン業界では、米デ ルをベンチマークの対象にせざるを得ない状況が業界 ぐるみで発生しました。
「そうしたベンチマークをしているうちに、経営陣も ロジスティクスが経営を変えうることを肌で感じるよ うになってきたんです。
実際、最近ではかなりの企業 が『SCM本部』というセクションを作ったり、ある いは経営トップが自らロジスティクス改革を経営方針 として掲げるようになってきています」 ――ただし、デルは何も持っていない状態からスター トした企業だからこそ、シンプルなロジスティクスの 仕組みを作ることができた。
これに対して、過去に販 売ネットワークや物流網を持ってしまった企業は、そ う簡単に理想的な仕組みを実現できないとの声もよく 聞きます。
「できないのではなくて、やらないだけです。
やろう と思えばできますよ。
仮に一〇カ所という物流拠点の 数が多すぎるのであれば、最適な数にすればいい。
お 世話になった問屋に会わせる顔がないとか、多くの抵 抗があることは確かです。
しかし、それは経営者の意 志決定の問題です。
その方がアウトプットとしてのサ ービスレベルが上がり、投入コストも小さくて済むの であれば絶対にやるべきです」 ――すでに新しいビジネスモデルで成功している先行 者を、過去に蓄積してきた経験をゼロリセットして追 37 APRIL 2004 ロジスティクス・マネジメントの展開 企業戦略 ロジスティクス目標 マーケット・ リサーチ マーケティング目標 経営内部の 環境条件の確認 ロジスティクス・ システムの選択肢 ロジスティクス・ システムの構成 ロジスティクス管理 システムの設定 ロジスティクス計画 システムの設定 外部環境 条件の確認 ロジスティクス 領域の確定 ロジスティクス・コスト の分析、設定 ロジスティクス効果の 設定、評価 実 施 評価、分析 フィードバック 『物流部』より転載 APRIL 2004 38 「あのとき一番の引き金になったのは、販売業態の 変化です。
スーパー量販店が元気になってきたり、コ ンビニが急速に増えるという市場の変化があった。
当 時は新業態と呼んでいたのですが、市場をセグメント して新業態ごとに別個のマーケティングを展開してい こうという話になった。
そうなったとき、従来の物流 の仕組みでは追いつかなくなってきたんです」 ――何が足りなかったのでしょう? 「当時の資生堂には、一〇〇%出資の販売子会社が全 国に一〇〇社くらいありました。
これがみんな別々に 在庫を持っていた。
ところが販売業態が変わり、顧客 の指定する物流センターに納品してくれといった要請 が出てきたとき、この体制では対応できなくなってし まったんです」 「コンビニの店舗が増え続けるなかで、それぞれの 店舗に直接届けるなんてことは不可能でした。
そこで ベンダーと称する卸が、今の一括物流センターの代わ りのようなものを作り、そこに納品してくれというこ とになった。
そして次は、そこに在庫を預けるという 話になってきた。
こうなるともはや販売会社には対応 できず、工場から直接運ぶしかありませんでした。
と ころが工場物流を委託していた物流専業者には、そこ までの業務を任せることはできなかった。
結局、すべ てを自社に取り込めということになったんです」 ライバル企業の重鎮に教えを乞う ――資生堂の社内には、自らやらなくてもいいのでは ないかという議論もあったのでは。
「もちろん、ありました」 ――当然、莫大な投資も問題になったはずです。
「お金の問題は、たまたま経済がああいう状況でし たからね。
これは金融の話になってしまいますが、実 は拠点整備の検討を進める一方で、資金集めも進め ていたんです。
そうしたらヨーロッパなどから思わぬ 資金が集まってしまった。
三〇〇億円くらいのつもり で動いたら、七〇〇億円くらい集まってしまった。
ど うするんだ、何に使うんだよ、と逆に心配になってし まったくらいですよ。
その資金を使って、あの時点で やらなければならないことは何かを検討した結果、物 流拠点を整備することになったんです」 ――物流拠点の整備をしようと言い出したのは、物流 部門からだったのですか。
「いいえ、経営トップの発案です。
台頭してきたス ーパーとかコンビニという新しいマーケットに打って 出るにあたり、経営陣は物流に対する危機感を持って いました。
当時、僕は物流部門のナンバー2だったの ですが、実質的に現場のトップだったため、販売責任 者の副社長が僕のところに直接きて言ったんです。
こ のままでは顧客ニーズに応えられない。
物流を整備し なければいけない。
どうすればいいかお前が考えろ、 とね。
このときに作ったのが商品センターを全国に配 置するという構想です」 ――当時、資生堂と同じような構想を進めていた日本 企業はありましたか。
「少なかったですね。
花王くらいですよ。
その花王 ですらまだ拠点整備まではやってなかった。
あの頃、 彼らが取り組んでいたのはユニットロード・システム でした。
我々が商品センターのようなものを全国に展 開しようと思ったら、どうしても似たような発想が必 要だった。
それで僕は当時、花王で物流を統括してい た山越完吾さんを訪ねて行ったんです」 「山越さんのところに行って、『すいません。
ライバ ル企業の者ですが、物流のことで教えてください』と 僕は頭を下げた。
そうしたら、あの人も凄い人でね。
トヨタ方式に挑む 第2特集 39 APRIL 2004 『一緒にやろうよ』と言って教えてくれましたよ。
そ れ以来、山越さんとは師弟関係のような感じでずっと 可愛がってもらいました」 困難を承知で引き受けた子会社の社長 ――商品センターを管理する会社として物流子会社を 作りました。
これは誰の発案だったのでしょう。
「これも経営トップの判断です。
そのとき抱えてい た根本的な問題は、やはり運営コストです。
資生堂か ら行った人間がやると、どうしても人件費が高くなっ てしまう。
資生堂本体の労務規定にそってやっていて は何もできないわけです。
でも、子会社化すれば賃金 体系だって何だって自由にできますからね。
それが物 流子会社を作った第一の理由です」 「それからもう一つあった理由は、拠点を整備した ことで販売会社で倉庫業務に携わっていた人間が、み んな余ってしまっていた。
この人たちを、どうするか で資生堂は頭を悩ませていました。
今でこそ日本企業 も簡単にリストラなどをやりますが、当時はそういう わけにはいきませんからね」 ――物流子会社としては後発です。
すでに電機メーカ ーなどが物流子会社を作って、重荷になっているのが 見えていた時期だったのでは? 「その辺の事情は、よく分かっていました」 ――にもかかわらず、物流子会社の社長を引き受けた。
「これはもう仕方がありません。
やれ、というんだか らね。
当時はサラリーマンでもあったし、自ら商品セ ンター構想を作った責任も感じていましたから。
まあ 当然、言ってくるだろうなと思ってましたよ」 ――このとき資生堂は本体の中から物流機能を一切な くし、すべての業務を物流子会社に出してしまいまし た。
かなり思い切った判断です。
「私はずいぶん抵抗したんです。
ロジスティクスの 機能は絶対に物流子会社がやるべきものではない、経 営戦略として本社で考えなければいけない、とね。
し かし、当時の経営陣には理解されませんでした」 「結果的に妥協策としてやったのは、本体の企画部 門にロジスティクスの担当者を置いてもらうことです。
そこにシステムの人間と、ロジスティクスの人間を最 低限、配置してもらった。
それが限界でした」 ――そのときの経営判断もロジスティクス戦略に基づ くものではなく、やはりコストだったわけですね。
「そう、経営コストの話です。
だから本社としては、 余った人間は整理できたし、物流部門も子会社に行 って本社はだいぶスリムになった。
しめしめという意 識だったと思いますよ」 ――しかし、その後しばらくすると、再び資生堂は本 体のなかに物流部門を復活させました。
「やはり、どうしても必要だということでね。
本社 の中で物流が見えなくなってしまったのと同時に、私が行ってから物流子会社は勝手なことを始めましたか ら(笑)。
もう少し現実的なところでは、物流子会社 が何か投資をしようとしても、設備投資のための資金 を子会社は持っていないんです。
予算は全部、本社に 言わなければならない。
そうすると子会社の人間が本 社の常務会に出席して提案するなんてことになる。
そ れは変だろうという話があった。
それで、本体のなか にも物流部門が必要だなとなったんです」 「ロジスティクス戦略とはかけ離れた理由から改め て設置された本社内の組織でしたが、結果的には良か った。
拠点をどうする、IT投資をどうする、在庫の コントロールをどうするといった判断は、すべて本社 のロジスティクス部門が下すべき案件です。
物流子会 社が手掛けるべきではありません」 PROFILE しげた・やすお1941年生まれ、66年早稲田大学理工 学部卒業、同年資生堂に入社、販売会社、工場、本社販売 部門を経て75年に新設の物流管理室に異動、86年から資 生堂が全国11カ所に「商品センター」を設置した物流イ ンフラ整備を主導、91年に資生堂が新設した物流子会社 「資生堂物流サービス」の初代社長に就任、94年に本社に 戻りマーケティング本部部長、98年に独立して東京ロジ スティクス研究所を設立し社長に就任、2003年8月から は同社顧問、著書に『よくわかる流通の仕組み』(日本能 率協会マネジメントセンター)、共著に『物流部』(同)、 『経営工学ハンドブック』(丸善)ほか多数。

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