ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年4号
特集
路線業の終わり フットワーク破たん後の1000日

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2004 18 フットワーク破たん後の1000日 約1400億円の負債を抱えて経営破たんしたフットワー クエクスプレス。
民事再生法の適用申請から約3年の歳 月を経て、昨年末に再建計画がようやくまとまった。
こ れを受け、関係者が重い口を開き始めた。
名門路線業者 の倒産劇の舞台裏が少しずつ明らかになってきた。
(刈屋大輔) 「倒産劇は業界の貴重な財産」 かつて西濃運輸や福山通運とともに「路線御三家」 と称された老舗の特別積み合わせ業者、フットワーク エクスプレスが大阪地裁に民事再生法の適用を申請 したのは、今から三年前、二〇〇一年三月のことだっ た。
負債総額は物流企業としては過去最大となる約 一四〇〇億円に上った。
名門企業が経営破たんに追 い込まれたことで当時、物流業界には大きな衝撃が走 った。
本誌では二〇〇一年四月創刊号の特集記事を皮切 りに、その後も複数回にわたって「破たん後のフット ワーク」を誌面で取り上げている。
「難航するスポン サー探し」(二〇〇二年四月号)、「民事再生法から会 社更生法への切り替え」(同年六月号)、「不動産処理 を巡るドタバタ劇」(二〇〇三年八月号)――と、フ ットワークの再建に向けた動きをリアルタイムでレポ ートしてきた。
しかし、いずれの記事も残念ながら倒産劇の深層部 分まではアクセスできていなかった。
大橋渡前社長や 管財人の弁護士、さらに労働組合のトップなど複数の 関係者のコメントを引いているものの、いわゆる?発 表モノ〞を中心とした構成になってしまった感は否め ない。
法的管理下に置かれていることを理由に、フッ トワークの関係者らが堅く口を閉ざしていたことがそ の一因だった。
ところが昨年十二月に再建計画が確定。
今年一月 に新生・フットワークエクスプレスとして再出発を果 たしたことで、徐々に風向きが変わってきた。
フット ワークのキーマンたちが民事再生手続きからの約三年 間を語り始めるようになったのだ。
経営破たんから再 建計画の確定までの間に、舞台裏では一体どのような ことが繰り広げられてきたのか。
その真相が少しずつ 明らかになってきた。
「われれれが三年間に経験したことは物流業界にと って貴重な財産となるはずだ」――そういって今回、 複数のフットワーク関係者が本誌の取材に応じてくれ た。
これまでのレポートと重複する部分も多少あるが、 その点は全体像を描くために再掲させてもらい、改め て倒産から再建までの動きを関係者の証言を織り交ぜ ながら振り返っていくことにする。
幻に終わった第一貨物との合併 フットワークの倒産はある日突然起こったわけでは なかった。
同社が民事再生法の適用を申請するため大 阪地裁に駆け込んだのは、前述した通り二〇〇一年 三月のこと。
しかし実はその数カ月前から同社の経営 危機説が市場では囁かれていた。
「主力銀行に融資打 ち切りの引導を渡されたらしい」、「大橋渡社長(当 時)がスポンサー探しに奔走している」――そんな噂 が業界内を駆け巡っていた。
同社の粉飾決算の疑いも、破綻が明らかになる前か ら取り沙汰されていた。
それでもピーク時には売上高 が一〇〇〇億円を超えた有力物流企業である。
長い 歴史を持つ特積み業者で輸配送ネットワークも充実し ている。
たとえ資金繰りに行き詰まったとしても、ス ポンサーはすぐに見つかるのではないかというのが大 方の予想だった。
ところが蓋を開けてみると、同社は法的管理下での 再建を余儀なくされることになった。
経営危機に陥っ てから民事再生手続きに踏み切るまでの間に、水面下 では大橋社長自ら大手路線業者や金融機関などのス ポンサー候補の元に足を運び、救済を要請していた。
しかし、話は細かく聞くが、最終的に首肯するものは 第2部 トヨタ方式に挑む 路線業の終わり 第1特集 19 APRIL 2004 いなかった。
そのなかで唯一、具体的に救済に乗り出す可能性 があったのは、山形市に本社を構える老舗路線業者の 第一貨物だった。
フットワーク関係者によると、同社 と第一貨物の資本提携は「細かい条件も詰め終えて、 後はハンコを押すだけ」というレベルにまで達してい たという。
実際、第一貨物の武藤幸規社長も「どうい ったかたちで協力関係を築くことができそうか。
両社 の経営幹部が話し合いを進めていたのは事実だ」と認 める。
第一貨物は東日本のネットワークが充実している。
一方、フットワークは西日本に強い。
両社のネットワ ークを統合すれば西濃運輸や福山通運に匹敵するネッ トワークができあがる。
経営統合の相手としては、格 好の組み合わせだった。
しかも武藤社長とフットワークの大橋社長は同じ二 世経営者として個人的な付き合いも深い。
一九九五 年には大橋社長が初代会長を務めた特別積み合わせ 業者の業界団体「日本路線トラック連盟」を二人三 脚で立ち上げたという経緯もある。
そうした関係もあ って、両社では比較的早い段階からアライアンスが真 剣に議論されてきた。
「もともと第一貨物とは連絡運輸などで協力関係に あった。
経営トップは気心の知れた同士。
パートナー としては申し分のない相手だった。
第一貨物とアライ アンスを交渉しているという噂を耳にした時、『これ で最悪の事態は回避できる』と確信した」とフットワ ークの関係者はいう。
しかし特積み業界の再編にもつながる老舗企業同 士の合併話は、ほぼ合意に達するところまで進んでい たにもかかわらず、土壇場になってひっくり返った。
武藤社長は「相手があることだし全てを話せるわけで はない」と条件を付けながらも、当時を次のように振 り返る。
「簡単に説明すると、相手の資産の状態や組合など 従業員の問題、どういった企業を顧客に持っているか などを総合的に判断した結果、合併を見送ることにし た。
まず従業員の問題だが、同じ特積み業者であって も企業としてのカルチャーが全然違うことが分かった。
向こうは大阪。
こちらは東北の山形。
どちらが良いと か悪いという話ではなく、うまく融合させるまでにか なりの時間を要すると感じた。
複数の労働組合の存在 も無視することはできなかった」 「荷主の顔ぶれも気になった。
リストを眺めると、フ ットワークさんの顧客には倉庫会社や物流子会社とい った同業者が多かった。
直荷主というか、市場取引で 獲得した荷主が思った以上に少なかった。
同業者が相 手だとどうしても運賃や料金は安くなってしまう。
こ のまま引き継いでも経営的にキツイなという印象を受 けた」倒産前日に緊急会議 最後の頼みだった第一貨物との合併話がとん挫した 後、フットワークにもはや打つ手は残されてはいなか った。
粉飾決算を繰り返していたことも判明し、銀行 から融資打ち切りの宣告を受けた。
慌てたフットワー クは日本通運や佐川急便といった大手物流企業に支 援を打診したが、最後まで「イエス」という返事を得 ることはできなかった。
そして二〇〇一年の三月四日。
フットワークは大阪 地裁に民事再生法の適用を申請した。
実は倒産前日、 大阪の本社では全国の管理職クラスを対象にした緊 急会議が開かれていた。
出席者の一人が当日の会議 の様子を振り返る。
フットワークの大橋前社長は95年に 第一貨物の武藤社長らと「日本路線ト ラック連盟」を立ち上げた APRIL 2004 20 「スポンサー探しに疲れ果ててしまったのか。
議長 の大橋社長は憔悴しきった表情だった。
会議の席上で 大橋社長は民事再生手続きに踏み切るつもりであるこ とを、はっきりとは口にしなかった。
申請前に口にす れば、情報があっという間に全国に広まって営業を継 続できない状況に追い込まれてしまう可能性がある。
おそらくそのことを危惧したのだろう。
たしか『これ から新しいゲームが始まる』とか、そんな曖昧な表現 だった。
その言葉の意味を理解できず、また社長がわ けの分からないことを言い始めたとポカーンとしてし た出席者もいた。
しかし私はピンきた。
いよいよ倒産 だな、と」 この会議が開かれたのは土曜日だった。
民事再生の 手続きを済ませたのは日曜日である。
記者発表と社長 会見が行われたのは日曜日の夕方だった。
フットワー クが「Xデー」に土・日を選んだのは貨物の取扱量が 比較的少ない曜日に動くことで、発表による現場での 混乱を最小限に食い止めるのが狙いだった。
実際、そ れが奏功して、大きな障害もなく翌月曜日からもほぼ 平常通りに営業を続けることができた。
フットワークの管理職クラスの多くは倒産の発表に 驚くことはなかった。
遅かれ早かれその日が訪れるこ とを内心では覚悟していたからだ。
しかし、そうした 懸念があることを取引先や現場の部下たち、協力会 社に口外するわけにもいかない。
罪悪感のようなもの を抱えたまま、日々の業務に従事していたというのが 実情だった。
第一線で働いてきた従業員の一人は「社員の大半 は賞与の分割支給があった時点で『これはもうリーチ やな』と感じていたはずだ。
他産業の会社と比べると、 物流会社、とくに宅配便をやっている会社は現金商 売に近いので手元現金の確保にさほど苦労しない。
う ちはまさにその会社。
それなのに給料が払えないとい うのは冷静になって考えると、もうおしまいというこ とだった」と分析する。
それでも破たん後すぐに第一貨物が「幹線輸送や集 配の部分で可能なかぎり協力していく」と支援の意向 を表明してくれたことはフットワークにとって大きな 支えとなった。
前述した通り、第一貨物はその数カ月 前にフットワークとのアライアンスを見送っている。
にもかかわらず、支援を表明したのは、フットワーク が社会的な信用を維持するのを手助けすることが目的 だった。
もっとも、第一貨物のスタンスが変わったわけでは なかった。
アライアンスは白紙のまま。
破たん直後の 支援表明はフットワークが営業を継続していけるよう にするための第一貨物による?リップサービス〞にす ぎなかった。
実際、第一貨物とフットワークの関係は その後とくに進展していない。
「支援を検討している企業が一つもない状態のまま、 裁判所に駆け込んでいたら営業を続けるのは困難にな っていたかもしれない。
事実とは異なるとはいえ、第 一貨物がバックについているという印象を顧客に与え られたことはとても大きかった」とフットワーク関係 者は述懐する。
スポンサー決定は約一年後 民事再生法の適用申請後、比較的スムースに進ん でいくと見られていたスポンサー探しは予想以上に難 航した。
フットワークの営業譲渡先が正式に決まった のは経営破たんから十一カ月が経った翌二〇〇二年 一月末だった。
最終的にスポンサーとして名乗りを上げたのは「オ ー・エス・エル」だった。
金融会社のオリックス、シ 01.3.4 大阪地裁に民事再生法の適用を申請 01.3.30 株主総会で大橋渡社長ら旧経営陣が退任 落合章男氏(専務)が新社長に就任 02.1.31 01.12.20 02.4.30 会社更生法の適用を申請 03.6.30 更正計画案の提出を延長。
不動産処理の新スキームを発表 04.1 ●経営破たん後のフットワークをめぐる動き 証券取引等監視委員会が証券取引法違反(虚偽有価 証券報告書提出=粉飾決算)容疑で大橋前社長ら旧 経営陣を告発 「管理処分信託」による不動産処理を断念。
更生計画を確定 オリックス、セムコープロジスティクス、ワールドロジ の三社が設立する新会社「オー・エス・エル(OSL)」 に営業譲渡することで合意 21 APRIL 2004 ンガポールを本拠地とするグローバルロジスティクス 企業のセムコープロジスティクス、日系3PLのワー ルド・ロジの三社が共同出資で設立した会社である。
資本金は三五億円。
オリックスが六〇%、セムコープ が二六%、ワールド・ロジが一四%をそれぞれ出資し た。
この三社がフットワークに食指を動かしたのはなぜ か。
当然のことながら、三社にはそれぞれ思惑があっ た。
まずはオリックス。
同社にとってフットワークの 支援は「物流業への進出」を意味するものではなかっ た。
フットワークの案件はあくまでも投資銀行部門の 仕事の一つという位置付け。
プライベート・エクイテ ィ・ファンド(未公開株式を取得して経営を再建させ た後、株式公開や第三者に売却をすることを目的とし たファンド)の対象にすぎなかった。
再建を実現する ことでフットワークの企業としてバリュー(価値)を 高め、最終的には保有株を売却して投資のリターンを 回収することが目的だった(二二ページインタビュー 記事参照)。
一方、セムコープは日本進出への足掛かりとしてフ ットワークに興味を示した。
同社はシンガポールを中 心にインド、中国などにネットワークを張り巡らせて きたが、日本市場の開拓では出遅れていた。
フットワ ークをグループの傘下に収めることで、日本における 輸配送ネットワークの構築を一気に済ませてしまおう という狙いがあった。
実はセムコープはフットワークのほかにも日本の物 流企業を物色していたようだ。
業界関係者によると、 「セムコープは第一貨物など複数の企業にアライアン スを持ちかけていた。
その中には具体的な話が進んで いた案件もあった。
しかしフットワークの案件が飛び 込んできたからは他の案件を捨てて、フットワークに 一本化した」という。
ワールド・ロジはアスクルやファーストリテイリン グ(ユニクロ)の仕事にフットワークのインフラを役 立てようという発想だった。
ノンアセット型の3PL を志向する同社にとって日本国内での配送力強化は 大きな課題の一つになっていた。
フットワークを取り 込めば、全国をカバーする配送ネットワークを手に入 れることができる。
それがオー・エス・エルに出資し た動機だった。
ワールド・ロジが支援から撤退 当初、フットワークは二〇〇二年六月一日付けで 「オー・エス・エル」に営業譲渡される予定だった。
し かし、同年四月末にフットワークが民事再生法から会 社更生法下での再建に切り替えたことで、営業譲渡 は先延ばしされることになった。
フットワークが会社 更生法に鞍替えしたのは、再建計画案をめぐり大口 債権者である銀行団と折り合いがつかなかったためだ。
会社更生法には債権者による担保権者の行使を制限 できるという利点があった。
しかし、その後も銀行団との交渉がうまく進まず、 「オー・エス・エル」への営業譲渡を前提とした更正 計画案の提出は半年後、さらに半年後と何度も延長 された。
「再建の見通しが立たず、破産に追い込まれ るのではないか」――。
そんな噂が流れるほどフット ワークの迷走は続いた。
その間スポンサーとして名乗りを上げた三社の足並 みも徐々に乱れ始めていた。
営業譲渡後のフットワー クを国際物流企業として再出発させようとしたオリッ クスとセムコープ。
一方、国際物流よりも日本国内で のビジネスに重点を置きたいワールド・ロジ。
「その 後のフットワーク」の方向性を巡って二つのグループ トヨタ方式に挑む 路線業の終わり 第1特集 フットワークは「オー・エス・エル」に 営業譲渡されることになった APRIL 2004 22 の間に溝が生じてしまった。
「オリックスとセムコープは、日本国内でのビジネ スに重心を置くとダンピング競争に巻き込まれるだけ で利益が出ない。
今後フットワークが生き残っていく には海外、とりわけ中国を中心としたアジアでのビジ ネスや、サプライチェーン・マネジメント(SCM) に傾注していくべきだと主張していた」と関係者は説 明する。
結局、両者の溝が埋まることはなかった。
昨年七月、 ワールド・ロジはフットワークの案件から身を引くこ とを決め、自社で出資した分の株式をオリックスとセ ムコープにすべて売却した。
以降、営業譲渡の受け皿 会社である「オー・エス・エル」はオリックスとセム コープの主導で運営されることになった。
目指す方向性の違いからオリックス側とワールド・ ロジは今回、タッグを解消することになったが、両社 の関係そのものがギクシャクしているわけではないと いう。
「また他の案件で協力できることがあれば、一 緒にやりましょうという話になっている」とオリック スの嶺ディレクターは強調する。
「管理処分信託」はとん挫 オー・エス・エルと担保権者である銀行団との交渉 はなかなか前に進まなかった。
フットワークの保有不 動産の処理方法を巡っては、昨年六月末の段階で「管 理処分信託」という手法を採用することで大筋で合 意に達していた。
この「管理処分信託」とは銀行など の担保権者に対して現金で弁済する代わりに、不動 産を処理できる権利を与えることで弁済を完了させる というものである。
まずフットワークが整理回収機構(RCC)に不動 産管理処分信託を委託する。
これを受けてRCCは、 セムコープは競争相手だった ――経営破たんした企業の支援に名乗りを上げる のは同業者というのが一般的です。
金融会社のオ リックスが物流業のフットワークに出資する。
意外 な組み合わせです。
「最初に一つだけはっきりとさせておきたいこと があります。
当初、『オリックスが物流業に進出』 と新聞などで報じられましたが、それは間違いで す。
確かに出資していますが、フットワークがオリ ックスグループの傘下に組み込まれたわけではない。
フットワークの案件はあくまでもオリックスの投資 銀行部門の仕事の一つという位置付けです」 「フットワークへの出資はプライベート・エクイ ティ・ファンド(未公開株式を取得して経営を再 建させた後、株式公開や第三者に売却をすること を目的としたファンド)だと理解してもらいたい。
再建を実現することでフットワークの企業として バリュー(価値)を高める。
そして最終的に保有 株を売却したりして投資のリターンを回収すると いうモデルになります」 ――フットワークが民事再生法に駆け込む前から 支援を検討していたのですか? 「 いいえ。
われわれの部隊が発足して活動を始め たのは、フットワークが経営破たんした一カ月後の 二〇〇一年四月です。
フットワークの案件に直接関 わるようになったのはその年の八月頃からでした」 ――当初はセムコープとワールドロジの三社で再建 を進めていく計画でした。
「実は最初に組んだのはワールドロジで、セムコ ープはわれわれの競争相手でした。
セムコープはわ れわれとは別にフットワークの支援を検討する一 社だったわけです。
私は銀行マン時代にシンガポ ール勤務の経験があり、セムコープの実力をよく 知っていました。
同社や同社の親会社の幹部とも 面識があった。
そんな関係もあって『フットワーク を取り合うのではなく、一緒にやりましょう』とい う話を持ちかけました」 ――セムコープをパートナーに迎え入れた理由は? 「手を組むことでセムコープがアジア各地に展開 する物流ネットワークを利用できるようになるから です。
アジアの中でもとくに中国での充実ぶりが 魅力的だった。
セムコープは中国に二八拠点を構 え、倉庫面積の合計は二五万平方メートルに達す る。
中国にそれだけのインフラを有している日系 の物流企業はありません。
新生フットワークは路 線便の専業者から、グローバルでSCMを支援す る物流企業へとビジネスモデルを大きく改めます。
中国に生産拠点をシフトさせている企業から物流 の仕事を請け負う際に、このネットワークが大き な武器になると考えました」 「門外漢が業界再編の起爆剤になる」 オリックス 嶺英俊 投資銀行本部プリンシパルインベストメント マネージングディレクター (フットワークエクスプレス会長を兼務) トヨタ方式に挑む 路線業の終わり 第1特集 23 APRIL 2004 本来であればフットワークが受けるべき信託受益権を 担保権者に譲渡する。
担保権者は予め設定されてい る「売却する権利を行使できる時期」が訪れた時点で 不動産を処分できるという仕組みだ(二五ページ図参 照)。
当初、銀行団はこのスキームを全面的に受け入 れる計画だった。
それによってフットワークの再建は一気に加速する と見られていた。
昨年七月には更正管財人である天野 勝介弁護士が記者会見を開き、不動産処理方法と再 建計画確定までのスケジュールを説明。
フットワーク の再建は成功に向けて一歩前進したはずだと太鼓判を 押した。
ところがその後、銀行団が態度を一八〇度改めた。
「管理処分信託」による不動産処理は認められないと 言い出した。
受益権という物納のかたちでの弁済は過 去に例がない。
他の倒産案件と同じように現金で弁済 してほしい。
土壇場になって銀行団がそう主張し始め たのだ。
結局、担保権者の同意が得られず、フットワーク側 は「管理処分信託」による不動産処理を断念するこ とになった。
今年一月、更正管財人はフットワークの 保有不動産を売却することを決定した。
これによって 更正計画を確定。
フットワークは再建に向けて新たな スタートをきった。
なぜ銀行団は態度を豹変させたのか。
「管理処分信 託」というスキームにはどのような問題点があったの か。
そして新生フットワークは今後どういう戦略で経 営の建て直しを進めていくのか。
オリックスから派遣 されるかたちでフットワークの社長に就任した浅井克 仁氏が次ページからのインタビューでそうした疑問点 に答えてくれた。
三年で経営を軌道に乗せる ――新生フットワークは二〇〇六年度に売上高一 〇〇〇億円を目標に掲げています。
いまの数字の ほぼ二倍になります。
達成は可能なのでしょうか? 「不可能ではないと見ています。
もちろん自信も あります。
元請けの仕事、つまりSCMの仕事をど れだけ受注できるかが達成のカギとなるでしょう」 ――そもそも今回、投資先としてフットワークを選 んだのはなぜですか? 「われわれの部隊では投資対象をヘルスケア、食 品・外食、ITサービスなど数業種に絞っていま す。
物流・ロジスティクスはそのうちの一つに含 まれています。
物流業界は今後、業界の構造が大 きく変化していくことが確実視されている。
フットワークという会社を軸にして旧態依然とした業 界の再編を積極的に仕掛けて、ビジネスにしてい こうというのが狙いでした」 ――オリックスは金融のプロであっても、物流のプ ロではありません。
物流業界の再編を主導できる のでしょうか? 「業界の再編や変革といった大きな変化を起こそう とする場合、その中心的な役回りを演じるのは業 界内のプレーヤーよりもむしろ門外漢のほうがい い。
過去からのしがらみなどがあって、業界内の プレーヤーたちはなかなか一歩が踏み出せないから です。
業界再編というのは異業種からの参入が起 爆剤となって動き出すものです。
オリックスが物 流のプロでないことはマイナスにはなりません」 「当社からフットワークに送り込んだ浅井くん (フットワーク社長)はこの案件に携わってから、 かれこれ三年くらいになる。
彼はもはや物流の素 人ではない。
プロですよ。
何でも知っています。
物 流企業の経営者としてしっかりとやっていけるは ずです」 ――オリックスとしてのゴールは? 「三年でフットワークの経営を軌道に乗せる。
そし て五年後には収穫期を迎えたい。
最終的にどうい うかたちで投資を回収していくかはまだ決まって いませんが、タイムスケジュールとしてはそんな感 じを予定しています。
われわれの部隊ではフットワ ークの案件に限らず、すべての業種の案件につい て五年で結果を出すというルールを設けています」 ――物流・ロジスティクス分野での次の仕掛けは? 「フットワークのほかにはまだ具体的な案件はあ りません。
しかしこの分野には引き続き力を注い でいくつもりです」 ゼンテック・テクノ ロジー・ジャパン アルファパーチャス ソーマ スキャンポ アスメディックス ソシオン 2001年3月 2001年8月 2002年5月 2002年8月 2002年12月 2003年3月 ●事業提携の橋渡し ●M&Aアドバイザリー/ロールアップ ●リクルーティング ●流通ビジネス面での産業パートナー ●日本・アジア進出戦略支援 ●M&Aアドバイザリー ●リクルーティング ●事業立ち上げ ●総合インキュベーション ●事業モデルの再構築 ●成長戦略の立案 デジタルTV、携帯電話 のソフト開発 MROの商社 ブロードバンド機器・シ ステム開発 薬品開発 ヘルスケア・医療資材購 買会社のカーブアウト 在宅医療 ●オリックスが手掛けた主な投資案件 案 件 業務内容 投資時期 オリックスの付加価値

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