ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年7号
判断学
第110回 事故の責任を誰が取るのか?

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 JULY 2011  66           東京電力救済案  東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事 故の責任を誰が取るのか?  誰が考えても当然、東京電力が責任を取るはずだが、そう させないためにいろいろな工作が行われている。
 事故による損害賠償額は一〇兆円にも達するものとみられ ているが、東京電力にその支払能力はない。
債務に対する支 払能力がなければ会社は倒産するのが普通だが、東京電力を 倒産させるわけにはいかないというところから、いろんなプ ランが作られ、工作が行われている。
 五月十三日に菅内閣が決めた政府案は東京電力をこのまま 存続させることを大前提として、そのために政府が支援する 「機構」を新しく作り、電力一〇社が負担金を拠出するとと もに、政府が「交付国債」を発行して、これを「機構」に交 付する。
そして「機構」がその資金を東京電力に与えて、そ れを損害賠償や設備投資にあてるというものである。
 東京電力はこの「機構」から供給される資金と電力料金値 上げ、そして経費削減によって経営を維持していくというこ とになるが、ひとことで言ってこれは東京電力救済策という 以外にない。
 そして、東京電力の株主も債権者である銀行も損をするこ とはないということになる。
こんなうまい話があるのだろう か、と誰もが不思議に思うに違いない。
 そこでこの政府案に対して新聞や週刊誌などがきびしい批 判記事をのせており、そのためか枝野官房長官が金融機関 に対して東京電力への債権放棄を要請するような発言をして、 混乱に拍車をかけるという一幕もあった。
 いずれにせよ、この政府案は当然のことながら国会で審議 されることになるが、この案がそのまま通るかどうかはわか らない。
それというのも事故の責任を誰が取るのか、という ことが不問にされたままだからだ。
        誰も責任を取らない  この政府による東京電力救済案が、実は東京電力のメイン バンクである三井住友銀行が作ったものであることは、朝日 新聞出版発行の「アエラ」に詳しく書かれている。
 「アエラ」の大鹿靖明記者によると、この東京電力救済案 は三井住友銀行の車谷暢昭常務が原案を作ったところから ?車谷ペーパー?と呼ばれており、これが政府案のたたき台 になったといわれる(同誌、五月一六日号、および五月二三 日号)。
 そこでは当然のことながら東京電力の債権者である三井住 友を始めとする銀行の責任は問われていないし、株主の責任 も問われない。
そして損害賠償の責任は国民が負うというこ とになる。
他人に損害を与えて、その賠償ができなければ その人は破産する。
これはどこの国でも当然のことであるが、 株式会社の場合は倒産するのが普通である。
 そこでアメリカの連邦破産法を導入して日本でも会社更生 法、さらに民事再生法が作られ、会社が倒産した場合につい て規定している。
そこでは株主は持っている株券が紙切れに なってしまい、債権者も債権の放棄をせまられることになっ ている。
 東京電力の場合、一〇兆円もの損害賠償の支払能力はない のだから、当然、倒産して会社更生法か民事再生法の適用を 裁判所に申請すべきなのだが、そうさせないために工作をし、 そこから無理が生じる。
 その結果、誰も責任を負わないということになり、その付 けが国民の負担になるというわけである。
 考えてみればこれほど不合理なことはない。
しかしそれが 現実に法案となって国会で審議されようとしているのである。
 ここでわれわれは改めて「責任」とは何か、誰が責任を負 わなければならないのか、ということを原理的に考えていく 必要がある。
 福島原発事故問題で、政府は東京電力の存続を許し、その株主と債権 者である銀行の救済を図ろうとしている。
事故の責任は不問にされたま ま、すべてのツケが国民に回されることになる。
第110回 事故の責任を誰が取るのか? 67  JULY 2011         株式会社における責任  ここで問われているのは株式会社の責任とは何か、という ことである。
二〇〇六年に私は『株式会社に社会的責任はあ るか』という本を岩波書店から出した。
その第二章で「株式 会社の責任」について書き、そして第三章で日本の株式会社 は?無責任会社?になっていると論じた。
 そこでは自己資本軽視の経営がなされ、株式相互持合いで 資本が空洞化していることなどをあげて、日本の株式会社は ?無責任会社?になっているとしたのであるが、今回の東京 電力のケースもまさにそれが?無責任会社?になっているこ とを暴露したものと言える。
しかももっと悪いのは、政府が この?無責任会社?を放置するだけでなく、さらに無責任に し、その付けを国民にまわしているということである。
 それと同時に、経営者の責任についても放置されたままで ある。
株式会社の経営者は当然のことながら経営責任を問わ れなければならないが、日本ではこれまで経営者の責任は全 くと言ってよいほど問われていない。
 そこで東京電力でも清水正孝社長が退任し、役員賞与の一 部をカットするというが、社長を辞めれば責任を取ったとい うことになるのだろうか。
役員賞与の一部カットで責任を取 ったことになるのだろうか。
 これはまさに?無責任経営者?と言うしかない。
東京電力 の問題はこのような株式会社の基本にかかわる問題をいまわ れわれに提起しているのである。
 近代株式会社制度が確立していく段階の一九世紀イギリス では、株式会社の有限責任について大論争があった。
そこで はJ・R・マカロックなどが株式会社の有限責任を認めるべ きでないと主張し、議会で大論争がなされた。
 われわれは今、改めて株式会社の責任について議論する必 要があるのではないか?  東京電力の問題はそのことをわれわれに突きつけている。
      会社が倒産した場合の責任  東京電力は言うまでもなく株式会社であり、その株式は証 券取引所に上場されている。
この株式会社の基本は株式有限 責任ということにあることは言うまでもない。
 会社が倒産した場合、株主の持っている株券はタダの紙切 れになる。
すなわち株価はゼロになるが、それ以上の責任は 問われない。
これが株主有限責任の原則である。
 ではそれ以上の損害は誰が負担するのか。
それは債権者で ある銀行や社債の所有者ということになり、会社更生法では これら債権者は債権の放棄をせまられる。
 具体的に会社更生法では、会社は減資し、そして債権も一 部または全部が放棄されるということになっている。
その上 で会社の再建が行われ、それでもうまくいかなければ会社は 破産する。
 例えば倒産した日本航空はいま会社更生法によって会社を 再建しようとしているが、かつての山一証券はそれができな くて破産し、会社はなくなってしまった。
 東京電力をつぶしてしまったのでは被害者は賠償金を得る ことができなくなるので、倒産をさせるわけにはいかない。
そこで政府が介入するのはわかるが、しかし国民の税金によ って救済するというのであれば、東京電力は国有化する以外 にはない。
 それをそうさせないで現状のまま東京電力を存続させ、さ らにその上、株主も債権者も責任を負わなくてよいというこ とにしようとしている。
 ここから無理が生じるのだが、なにより露骨なのは国民の 税金を使って銀行を救済しようとしていることである。
そこ で枝野官房長官は、あえて銀行に対して債権の一部放棄を要 求する発言をしたのだと思われる。
 そうであるなら東京電力に減資させて株主にも責任を問う べきだが、それはしていない。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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