ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2011年5号
特集
第1部 その時あの人はどう動いたか日本通運──延べ4000台の災害支援車両を投入

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MAY 2011  16 鳴り続ける電話  三月十一日、日本通運の竹津久雄業務部長は東 京・汐留の本社にいた。
同部は国土交通省を始め とする監督官庁や業界団体などの公的機関に対応 する組織で、災害発生時には緊急輸送要請の窓口 となる。
竹津部長は臨時ニュースで災害の様子を 知り、今夜は帰れないことを悟った。
 同日二三時三〇分過ぎ、業務部の電話が鳴った。
東京都トラック協会からだ。
都が帰宅難民用に都 内各地に設置した避難所に毛布を運べとの指示だ。
今から車両を手配しても避難所に到着するのは朝 になることを伝えたが、それでも運んで欲しいと いう。
震災で帰宅できずに都内営業所に残ってい たドライバーを駆り出し、車両六台を都庁に集荷に 向かわせた。
これが前触れだった。
 日通は運送会社として唯一、災害対策基本法に 基づく「指定公共機関」の指定を受けている。
国 の支援物資の輸送オーダーは首相を本部長とする 内閣府の緊急災害対策本部が発注元となり、同本 部業務対処班物資輸送調整担当→国土交通省自 動車交通局貨物課→全日本トラック協会輸送事業 部を経由して、最終的に日通に依頼される。
 日付が変わり十二日の早朝四時。
椅子を並べた 簡易ベッドでうたた寝したところに二本目の電話 が入った。
今度は全日本トラック協会からで、災 害対策基本法に基づく正式な依頼だった。
山崎製 パンの西日本各地(福岡、広島、岡山、大阪、京 都、愛知)の工場からパンを集荷して救援物資と して被災地に送って欲しいという。
 調理せずに食べられるパンやおにぎりは、災害 初動時には最も必要とされる救援物資の一つだ。
賞味期限も限られているためスピーディな輸送が必 須となる。
ドライバー二人を交代で運転させるツー マン体制で、一〇トン車計一五台の車両を即座に 手配した。
朝九時には各地の工場で集荷が始まり、 十二日深夜から翌十三日にかけて順次、被災した 各県の物資集積所にパンが届いた。
平時と変わら ぬリードタイムだった。
 「阪神大震災の時には東京から救援車両を出して も神戸に着くまでに三日ぐらいかかった。
滋賀県 を越えた辺りから幹線道路が一般車両で埋まって 動けなくなっていた。
今回は震災後すぐに政府が 東北道と常磐道を通行止めにして緊急輸送車両し か走らせなかった。
そのため物資をスムーズに被 災地に運ぶことができた。
良い判断だったと思う」 と竹津部長は政府の初動を評価する。
 これを機に、日通の業務部には二四時間ひっき りなしに緊急輸送要請が入るようになった。
三月 一六日からは防衛省による「自衛隊スキーム」も 動き出した。
末端の避難所に支援物資が届いてい ないとの指摘を受け、政府対策本部は救援物資を 各地の自衛隊駐屯地に集約し、輸送管理を自衛隊 に一任した。
このスキームで各地の駐屯地を結ぶ幹 線輸送を日通が請け負った。
 三月二五日からはJR貨物の代行輸送も始まっ  災害対策基本法に基づく業界唯一の指定公共機関とし て、日本通運は震災当日から緊急支援物資の輸送を開始 した。
日通が投入した車両は3月中だけで延べ4000 台に 上った。
各県の集積所には滞りなく支援物資が届いた。
ところが避難民の手にわたらない。
広域災害時の物流の 課題が顕在化した。
           (大矢昌浩) 日本通運 ──延べ4000台の災害支援車両を投入 日本通運の竹津久雄業務部長 第1 部 その時あの人はどう動いたか 特 集 3・11どうなる物流 17  MAY 2011 た。
在来線の宇都宮〜青森間の線路が使えなくな ったことを受け、宇都宮で鉄道コンテナを通運各 社のトラックに積み替え盛岡までの東北各地に配送 する。
このほか各自治体からの依頼を合わせると 日通は震災のあった三月十一日から同月末までの 間に延べ四〇〇〇台以上の車両を動かし救援物資 を輸送している。
これだけの規模の災害支援輸送 は日通にとっても初めてのことだった。
 日通の各支店では日を追うごとに地下タンクの 燃料在庫が減っていく。
燃料の確保に業務部は走 り回った。
「政府や自治体の緊急輸送車両には優先 的に燃料が供給されることになっていた。
しかし 八方手を尽くしてもなかなか入ってこない。
兵站 の基本が燃料の確保であることを改めて痛感させ られた」と竹津部長は振り返る。
 今回の震災では日通自身も大きな被害を受けてい る。
四月六日時点で死亡が確認された従業員は七 人。
行方不明は二人。
一親等以内に死者・行方不 明者のいる従業員は五〇人以上に上っている。
全 壊もしくは浸水した支店・営業所は十一カ所。
車 両は二三三台(関係会社も含む)が流された。
そ れでも国や自治体からの緊急輸送依頼には、ほぼ 一〇〇%応えることができた。
災害支援に3PLの力を  各県の集積所には当初から大量の支援物資が届 いていた。
ところが避難民には十分に行き渡って いなかった。
支援物資で溢れかえった集積所から わずか数キロの距離に、寒さに震え、飢えに苦し む避難民たちがいた。
集積所のハンドリング、そし て集積所から避難所までの二次配送がボトルネック だった。
 宮城県では用意した約四〇〇坪の集積所に八〇 〇〇坪分の救援物資が押し寄せた。
急遽、民間倉 庫会社の複数の施設に集積所を分散させたが、輸 送指示が錯綜して現場は大混乱に陥った。
その間 にも余震は続いている。
崩れた荷物を何とか片付 けたところに、また余震が来て崩される。
そこに 予定にない物資が新たに到着する。
 二次配送も目詰まりを起こした。
国や県、市区 町村などが、それぞれ独自の判断で指示を出す。
車両が出発した後に納品先が変更になる。
あるい は納品がキャンセルになる。
さらには納品のキャン セルが再びキャンセルされるといった事態が相次い だ。
貴重な燃料がいたずらに失われ、時間ばかり が過ぎていく。
日持ちのしない物資がムダになっ ていく。
 まだ教訓を語るには早過ぎるかも知れない。
し かし、既に広域災害時の物流の課題は顕在化して いる。
先の阪神大震災は被災地が限定されていた。
大阪が前線基地の役割を果たすことができた。
し かし今回は東北の中心地、仙台が被災した。
指示 系統が機能不全に陥った。
 竹津部長は「災害支援であっても、やはり物流 はプロに任せたほうがいい。
災害の規模は違うが、 新潟県中越沖地震では震災後すぐに当社が指定を 受けて救援物資の管理を全面的に委託された。
そ の結果、全く混乱がなかったとは言わないが、今 回と比べればずっとスムーズに運営できていた」と 指摘する。
 今回の震災でも岩手県は震災から四日後の三月 一五日、東北道・滝沢インターに隣接し六万坪以 上の敷地面積を誇る「岩手産業文化センター『ア ピオ』」を救援物資の集積所に指定し、民間の物流 専門家を現地に投入している。
日通からも荷捌き 要員として昼夜三五人ずつを投入した。
その結果、 少なくとも県集積所時点での混乱はそれほど見ら れなかった。
 もう一歩アウトソーシングを進めて災害時の物流 管理を一つの会社、3PLに集約して委託するこ とを検討すべきだろう。
全体を統合管理すること でネットワークの組み立てが容易になる。
オペレー ションは格段に安定する。
大量の物資をコントロー ルするスキルにおいて民間の有力3PLを上回る 組織は日本にない。
「我々も物流のプロとして国や 自治体に提案していきたい」と竹津部長は考えて いる。
3月28日、支援物資を搭載したRORO兼コンテナ船「ひまわり」を 仙台塩釜港に臨時入港させた

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