ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2005年10号
keyperson
野尻俊明 流通経済大学 学長

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

OCTOER 2005 4 事業者数の増加は予想以上 ――日本のトラック運送業の規制緩 和は終わったと考えていいですか。
「いいでしょうね。
経済的規制で残 っているのは新規参入にあたっての最 低保有車両台数だけと言っていい。
今 や誰でも参入できる」 ――しかし参入しても、おいしい商売 ではなくなりました。
九〇年のいわ ゆる「物流二法(貨物自動車運送事 業法と貨物運送取扱事業法)」ができ るまで、トラック運送業は不況に強 い商売とされていました。
ところが物 流二法以降、運賃水準は低下する一 方で、利益の残らない水準まで落ち 込んでしまった。
「今やよほど独自のノウハウや売り 物がないと、単純なトラック運送で は新規参入しても利益を出すのは難 しいでしょうね。
そのノウハウも、ト ラック運送以外の部分にあることが 多い」 ――本誌ではトラック運送の時代自 体が終わったと見ています。
「単純な意味では、そう言えるのか も知れません。
ただ、トラックに代わ る主役の姿はまだ見えていませんね」 ――ターニングポイントは、やはり 「物流二法」だったのでしょうか。
「確かに制度的には『物流二法』が大 きなターニングポイントでした。
しか し実態としては、それ以前から日本 の物流行政は変わってきていました。
私の認識では八〇年代の中頃から役 所の意識は変わり始めていた。
規制 というのは、簡単に言えば保護行政、 事業者の保護育成が目的です。
それ に対して八〇年代中頃に宅配便が普 及し始めたこともあって、『利用者ニ ーズ』への対応という言葉を行政が 意識して使うようになった」 ――規制緩和は当時の世界的な流れ でした。
それを日本の役人も意識し たわけではないのですか。
「もちろん影響はありました。
ただ し、同じ規制緩和といっても日本と アメリカを比べると、その意味はかな り違った。
日本より一足早く、一九 七〇年代後半から運輸業の規制緩和 に動いたアメリカでは、緩和する前ま では法律を厳格に適用していました。
需給調整のために州際のトラック業 については長い間、新規免許の取得 は認めず、認可運賃もかなり厳しく 守らせていた」 「一方、日本は路線業(現在の特別 積み合わせ事業)の免許こそ、なか なかおろさなかったけれども、区域 (現在の一般事業)免許は規制緩和前 から比較的簡単に取得できた。
実際、 事業者数は増えていた。
運賃の規制 も実態としてはなかった。
認可運賃 ではあったものの、守られてはいませ んでした」 「つまり日本では規制緩和前から制度 自体が実態として崩れていたわけで す。
その矛盾を一番感じていたのは、 他でもない法律を守らせる立場にあ った当時の運輸省です。
守らせるこ とのできない制度は変えるしかありま せん。
その意味で物流二法は基本的 には実態を追認したものだったといえ ると思います」 ――それでも影響は小さくなかった。
「今になって振り返れば、その通り です」 ――役人も業界関係者も規制緩和の 影響を読み違えた? 「従前の予想と大きく違ったのは、事 業者数の増加です。
九〇年当時約四万社だった事業者数が今では六万社 です。
もちろん参入規制を緩和すれば、 増加するのは当然ですが、ここまで増 えるとは予想していなかった」 ――事業者数が予想以上に増えたの は、新規参入の増加というより倒産 が少ないからでは。
「それもあります。
供給が増えるの ですから、経済原則に従って倒産や 市場からの退場者も増えるはずだと 野尻俊明 流通経済大学 学長 「規制緩和後に行政はどこへ行く」 トラック運送業の規制緩和が終わった。
運賃水準は大幅に低下 した。
荷主はそのメリットを享受している。
しかし規制緩和のも う一つの目的、「小さな政府」は実現されていない。
新たな物流行 政の在り方を何も議論しないまま、日本はポスト規制緩和時代に 移行してしまった。
(聞き手・大矢昌浩) 5 OCTOBER 2005 予測していました。
少なくとも現状 の数字を見る限り運送業は利幅が少 なく、労働集約型で管理も大変です。
そんなところに参入してくる事業者 は限られているはずで、参入してもす ぐに撤退するだろうと皆、考えていた わけです」 ――なぜ読み違いが起こったのでしょ うか。
「いくつもの要因があると思います が、一つには荷主企業による物流事 業参入が影響しています。
それまで 荷主にとってブラックボックスになっ ていた『物流』の中身が明らかにな った。
自分たちにも出来るということ が分かり、その結果、荷主が物流子 会社を作ったり、あるいは間接的な 形ながらも物流事業に参入するケー スが増えたと見ています」 ――今では日本の行政、国土交通省 に物流業を保護する意識はありませ んね。
「物流二法の時点で、基本的にそれ はなくなったと思います」 ――結局、一連の規制緩和で誰が得 をしたのでしょうか。
「第一は荷主でしょう。
日本より一足 早く、一九八〇年にトラック業の規 制緩和を実施したアメリカでも、規 制緩和で最も得をしたと言われるの が大手荷主企業です。
何より運賃が 下がった。
ちなみにアメリカでは二番 目に得をしたのが勝ち残った物流業 者。
三番目が規制緩和の看板を掲げ て、それを実現した政治家だと言わ れています」 「日本の規制緩和でも、やはり荷主が 最もメリットを得たと思います。
日本 の場合、規制緩和前から運賃規制は 実態として形骸化していましたが、規 制緩和で供給が増えて、しかも物流 業者側の手の内が全て裸になってし まったために、さらに運賃が下がっ た」 日本の役人は残った ――逆に規制緩和で損をしたのは。
「アメリカの場合、負け組となって 淘汰された物流業者と労働組合、そ して役所だと言われています」 ――物流業者と労働組合は分かりま すが、日本の場合、役所は負け組と は言えません。
「規制緩和政策の基本は『小さな政 府』です。
役人の数を減らすという 狙いがある。
アメリカはそれを一番極 端な形で実施しました。
規制を撤廃 し、同時に規制官庁を潰したんです。
トラック運送の規制を管理していた I C C ( Interstate Commerce Commission:州際通商委員会)と いう組織をなくしました」 「しかし日本の場合は、そうはなら なかった。
日本では当時、行政自身 『緩和』という言葉を使わずに、あく まで規制の『見直し』と言っていた。
アメリカは『規制撤廃』。
ヨーロッパ の場合はEU統合の調整があるため 『規制の調和』という言葉を使った。
それに対して日本の場合は、規制の 『見直し』という言葉が最も相応しい レベルの改革だった。
実際、規制は 撤廃されたわけではなく、今でも物流 二法という事業者法があるわけです」 ――もともと規制緩和政策は、経済 的規制の緩和と並行して社会的規制 を強化する必要があると言われてい ます。
つまり役人を減らすとともに、 役所の役割を変える必要があるはず です。
「その通りです。
経済的規制を撤廃し たアメリカも、安全対策を中心とし た社会的規制は強化しています。
役 人の数も、その部分では増やしてい る。
つまり経済的規制を管理してい た役人は減らしたけれども、交通警 察官は増やした。
日本でも社会的規 制の強化は図られましたが、そのメリ ハリが日本の場合には中途半端だと は言えるでしょう」 ――「小さな政府」は、少なくとも 物流行政においては完全に放置され ています。
「ポスト規制緩和に向けた本格的な議 論を、本来は九〇年の『物流二法』の 時点でしておくべきだったんです。
個 人的にはそう指摘していました。
しか し、当時はあまり耳を傾けてもらえな かった。
結局、大した議論もないまま 日本の物流行政はポスト規制緩和の 時代に入ってしまったことになります。
しかし、今後の方向性は明確になっているものと思います。
規制緩和とい う大きな政策を乗り越えて、次の政 策にむけたスタートを本格的にきる必 要があると思います」 のじり・としあき 一九七三年、流通経済大学経 済学部卒。
七九年、日本大学大学院法学研究科博 士課程単位取得。
七九年、日通総合研究所勤務。
八九年、流通経済大学社会学部助教授に就任。
九 五年、同大教授。
二〇〇二年、同大学長に就任。
主な著書に「規制改革と競争政策―アメリカ運輸 事業のディレギュレーション」(白桃書房)、「流通 関係法」(白桃書房)などがある。

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