ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2006年9号
CSR経営講座
トップの責任問題に発展する不祥事

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

SEPTEMBER 2006 68 日本企業は企業不祥事に背中を押 されながらCSRという新しい価値 観を受け入れてきた。
九〇年代まで に発生した企業不祥事の多くは、時 間とともに風化してしまうのが普通だ った。
しかし、 21 世紀に入って様相 が一変した。
経営トップが辞任に追 い込まれたり、企業の存続すら許さ れなくなるケースが相次いだ。
このよ うな事態を未然に防ぐために?CS R経営〞が脚光を浴びはじめた。
不祥事が許されない時代 なぜ今、CSR(企業の社会的責 任)を意識する必要があるのか。
も ちろん世間が注目しているからという 理由もある。
しかし、企業にとってよ り切実なのは、不祥事によって経営 トップが辞任したり、会社そのものが 潰れてしまうケースが現実に相次い でいることだ。
企業は存続することを 第一義としている。
これを危うくする 状況への自己防衛の手段として ?CSR経営〞が注目されるように なってきたのである。
企業不祥事に対する世の中の反応 は近年、大きく変わった。
ある食品 メーカーが不祥事を起こしたとする。
九〇年代までであれば、その企業の 製品は一時的に小売店の店頭から撤 去されても、ほとぼりが冷めれば戻さ れるのが一般的だった。
不祥事の発 生から二、三週間もして世間の記憶 が薄れてくると、何食わぬ様子で製 品は再び店頭に並べられていた。
ところが今は違う。
いったん店頭 から撤去された製品が、再び店頭に 並ぶのは容易ではない。
消費財メー カーの人たちは、自社が何らかの不 祥事を起こしたときに置かれる厳し い立場に対して「そんなはずはない」 と思うはずだ。
「これほど長く問屋さ んや小売りさんと付き合ってきたのに ‥‥」と愚痴の一つもこぼしたくな るほど冷たい仕打ちを受ける。
しかし、小売業にしてみれば当然 の話だ。
現在の消費者の生活スタイ ルや意識を考えれば、不祥事を起こ した企業の製品をそのまま店頭で扱 い続けることなどありえない。
とりわ け食品に注がれる視線は厳しい。
「食 の安全・安心」に関するトラブルが 発生すると、とにもかくにも店頭から 撤去されてしまう。
そして、製品を 店頭に戻してもらうためには、従来 とは比較にならぬほど多くのハードル をクリアする必要がある。
一つ言えることは、ほとぼりが冷め たら元通りになる時代はすでに終焉 したということだ。
社会の成熟化が 進み、ある企業の製品だけが飛びぬ けて優れているような状況はめったに なくなった。
どんな製品にも代替品 があり、とくに日用消耗品や食品で はこの傾向が著しい。
メーカー側は 「うちの製品は他社とは違う」と懸命 に訴え続けているが、小売業や消費 者の側からすれば「どこの製品も同 じ」というのが本音だろう。
このような時代になって、企業不 祥事は以前とは比べものにならない ほど重い意味を持つようになった。
実 際、ここ五年間ほどで世の中を大き く騒がせた企業不祥事の多くは、企 業にとっては最悪ともいうべき結果 を招いてしまった。
辞任に追い込まれる経営トップ ここに日本監査役協会がまとめた 興味深い報告書がある。
「企業不祥事 防止と監査役の役割」と題するこの 小冊子では、二〇〇〇年一月から二 〇〇三年一月までの三年間に発生した企業不祥事を取り上げて、その原 因を解明しようとしている。
具体的 には、新聞(大手全国紙)に複数回 にわたって報道された約三〇〇件の 不祥事を抽出して、このうち一八の 事例について詳しく調べている。
この一八件を「COSO報告書」 における「内部統制」(適正な活動を 行うために企業内部に設けられた運 用の仕組み)の基準に照らして分析 トップの責任問題に発展する不祥事 第3回 した結果、報告書は不祥事のタイプ を四つに類型化している。
その四類 型とは、?経営トップの関与、?特 定分野・聖域化、?企業風土・文化、 ?事故・トラブル――というものだ。
「COSO報告書」や「内部統制」に ついては本連載のなかで追って詳述 するが、ここではまず典型的な企業 不祥事がどのようなものなのかを説 明しておこう。
報告書のなかで詳しく分析された 一八の事例のうち、私がロジスティ クスに関係が深いと判断した不祥事 を上図にまとめてある。
そのほとんど が、経営トップの引責辞任や、会社 の清算、大規模な株主代表訴訟など とワンセットになっていることが分か るはずだ。
いまや企業の不祥事は、コ ストを発生させて企業活動の足を引 っ張るばかりか、企業の存続すら危 うくする。
不祥事が企業の存亡に直 結する時代になったからこそ、経営 レベルで不祥事防止に取り組む動き も出てきているのである。
不祥事の性質も変わってきた。
一 昔前に食品関連企業が引き起こす不 祥事といえば、ほとんどが品質の問 題だった。
それが今では、二〇〇〇 年に雪印乳業が引き起こした食中毒 事件のようなケースはむしろ例外的 だ。
その後の雪印食品や日本ハムに よる食肉偽装問題、ダスキンや協和 香料化学の無認可添加物の使用問題 などでは、品質が問われたわけではな い。
また、不正行為によって動いた 金額の多寡もさして注目されてはい ない。
問われているのは、企業の「倫 理観」とも言うべきものだ。
CSRには?経済的、?環境的、? 社会的という三つの側面がある。
こ のうち経済的な側面については、企 業は儲けることなしに存続できないの だから、いつの時代にも無視すること のできない要素だ。
そして従来の企 業活動は、あまりにもこの経済的側 面ばかりを重視してきたから問題が 生じてしまった。
これからは経済的に成功すると同時に、環境的・社会的 にも社会から認められなければ存続 していくことが難しくなっている。
こうしたことに気づいた企業は、す でに「社会・環境報告書」や「CS Rレポート」などを通して自社の姿 勢を積極的に知らせる努力をしてい る。
財務諸表による経済的側面の情 報公開に加えて、環境的・社会的な 活動についても透明性を高めようと いうわけだ。
CSRの三つの側面は、 リスクにも三つの側面があることを示 している。
それぞれの側面からリスク マネジメントを行うことこそCSR 経営の本質といえるだろう。
初期対応が結果を左右する もっとも、ある企業がCSR経営 を実践できているかどうかは、平時に 外部から見ているだけでは判断しよ うのないことが多い。
いざ不祥事が 発生してしまったときに、適切な行 動をとれたかどうかで、結果的にその 企業の本当の姿がわかる。
二〇〇二 年に日本ハムの子会社が引き起こし た牛肉偽装事件は、その典型的なケ ースだった。
この事例では、経営トップ(社長) の知らないところで子会社が不正を 働き、その概要が新聞の朝刊に大々 的に報じられてから、慌てて本社レ ベルでの対応がなされた。
新聞の朝 刊が配られてから、夕刊の締め切り 時間までのわずか四、五時間のうち に、経営トップは記者会見に応じざ るをえなくなった。
この会見の席上、 社長が「(詳細は)いま調査中です」 と言ったことに対し、記者が「これほ ど社会的に大きな問題となっている のに、まだ実態を把握できていないの か」と反発。
一層激しさを増した追 及に対して、社長が「責任を感じている」と応じた結果、もう夕刊には 「日本ハム 社長辞任」という主旨の 記事が出ていた。
たしかに会見の時点では、子会社 の引き起こした不祥事ということも あって、日本ハムの経営トップは事 態の全貌を把握できていなかったの だろう。
懸命に調査している最中と いうのも嘘ではなかったはずだ。
それ 69 SEPTEMBER 2006 に活動しなければならない。
起こりう るリスクを日常的に分析し、対応策 を検討しておくリスクマネジメントの 発想を常に忘れてはならない。
そのた めの体制構築については改めて本連 載のなかで詳述するが、まずは企業不 祥事の際に必ず問い直される?企業 倫理〞について考えてみたい。
右に掲載したのは、私が常勤監査 役になったときに、日本監査役協会 で受けた研修のなかで講師が発した 質問だ。
企業倫理について考えるう えで興味深いため紹介する。
内容は ガレット・ハーディンという生態学 者が提示した有名な思考実験だが、あ なたは「一番」から「四番」までの 解決原則のうちどれに則って行動す るだろうか? ちなみに私は「一番」 と答えた。
研修に参加していた新任 監査役のうち最も多くの人たちが選 んだ答えも「一番」だった。
しかし、この講師によると、監査 役がとるべき態度の正解は「四番」だ という。
企業も人間も存続ありきで、 潰れたり死んでしまっては意味がない。
企業は、儲けて、存続しなければな らない。
だからといって何をしてもい いわけではないから商法など守るべき ルールがある。
企業が潰れてしまって もいいというのであれば、そもそも監 査役など要らない。
だから皆さんもヒ ューマニズムなどと言っていないで、 企業の存続を第一に考えなさい。
こ ういうことをやったら企業が存続でき ない、あるいはこうしなければダメな んだ、という立場から監査を行いな さい、という教えだった。
企業倫理について考えるうえで、こ の設問は示唆に富んでいる。
すでに 述べたことだが、私は監査役の究極 的な役割は「企業防衛」と「不祥事 の防止」の二つだと考えている。
では、 どのような企業が存続できないのかと いうと、 20 世紀の発想では、良い製 品を低コストで作れない企業が滅ん でいった。
しかし、この要件は 21 世 紀に入ると一変し、「不祥事」を起こ さないことが最も重要になった。
いま社会から求められている企業 倫理の要請には、法律を守るだけで は応えられない。
たとえ法律で定めら れていなくても、ヒトとして?しては いけないこと〞がある。
企業は、他 人や社会に迷惑をかけない人間の集 まりでなければならない。
企業倫理を 突き詰めていくと、究極的には個人 の倫理観が問われることになる。
個々 人の倫理観が欠落している企業が不 祥事防止体制をいくら整えても、機 能させるのは難しいはずだ。
社会の変化を直視せよ このような外部の要請に応えてい けばいくほど、企業の負担は増して いく。
場合によっては一部の消費者 のヒステリックな要求に振り回される ことにもなりかねず、理不尽だと感じ ることすらあるかもしれない。
しかし、 消費者や市場の要求が理不尽かどう かは問題ではない。
時代が変化して いる以上、対応していかなければ企 業は存続できなくなってしまう。
前述した事例からも分かる通り、た とえ子会社が引き起こした不祥事でも、世の中の批判は親会社なりサプ ライチェーンの中核企業へと向かう。
実際、ブリヂストンの海外子会社で ある米ファイアストンが二〇〇〇年 に行った大規模リコールでは、かなり 独立性の高い子会社の問題にも関わ らず、親会社と海外子会社の間でダ ブルスタンダードがあったことなどを 理由に批判の矛先はブリヂストンへ と向かった。
国際会計基準の導入に なりに誠意を持って対応したはずな のに、経営トップの辞任を避けられ なかった。
この初期対応で何が一番 問題だったのかといえば、私は?ロジ スティクス〞だったと理解している。
周知の通り、ロジスティクスとは 在庫の統合管理を目的とする活動だ。
日本ハムの事例では、子会社の業務 とはいえ、把握しておくべき在庫の 管理をまったくできていなかった。
こ のため経営トップによる記者会見で 事態を沈静化するどころか、逆に火 に油をそそぎ袋叩きにあってしまった。
もし、あの会見で、経営トップが 自社の引き起こした不祥事の全貌を 認めて謝罪し、その上で、どこで、ど の程度の問題が発生したのか、問題 のある製品の出荷状況はどうなって いるのか、回収状況はどうなのか、残 りを懸命に回収している最中だから マスコミ各社にも協力をお願いした い、といった対応をしたらどうだった だろうか。
もしかしたら結果は違って いたかもしれない。
一連の企業不祥事が残した教訓 いずれにせよ過去の事例から明らか なのは、企業不祥事への対応を誤れ ば、著名な大企業といえども非常に 脆いという事実だ。
誤解を恐れずに 言えば、企業は不祥事の発生を前提 SEPTEMBER 2006 70 よって、連結ベースで企業をみること が常識になってきた社会の変化を反 映したものだった。
企業不祥事が表沙汰になるまでの パターンも、最近では多様化してい る。
とくに「内部告発」をきっかけに 露見する事例が激増しており、社内 だけでなく、取引先を含めた関係者 から情報が外部に流れるケースが多 い。
消費者だけでなく、労働者の意 識も変化していることを認識してお く必要があろう。
過去の日本では、企業活動を規制 する商法などが、いわゆる?性善説〞 に立脚して形づくられてきた。
これ自 体は悪いことではないし、今後も日 本の良さとして残してほしいと個人 的には考えているが、限界に達して いるようにも思える。
企業が不祥事 を防止する仕組みを整えていくとき には、欧米流の?性悪説〞を意識せ ざるを得ないのではないだろうか。
いずれにせよ、一連の変化を直視 しながら、企業はコーポレート・ガバ ナンス(企業統治)の仕組みを整備 していく必要がある。
これは「経営の 健全性と公正さ」を確保する仕組み づくりと言うことができる。
「経営の 健全性」は、財務諸表にまとめられ ているため誰にとっても分かりやすい。
これを会計監査の厳格化などによっ て追求していけばいい。
では後段の「公正さ」とは何か。
こ こで重要なことは、企業運営に「透 明性」があり、企業がどういう決定を、 いつどのように下したのかといったこ とを、きちんとモニタリング(監視) できることだ。
一言でいってしまえば 「嘘をつかない」ことが公正な企業の 条件といえる。
こうした事柄は過去の 企業経営では必ずしも重視されてこ なかった。
しかし、社会の変化を直視 すれば、真摯に取り組まざるを得ない 課題であることに気づくはずだ。
機能不全に陥ったロジスティクス いま求められている企業像は、効 率一本槍だった 20 世紀のそれとはま ったく異なっている。
21 世紀を生き 抜くことができるのは、社会から必 要とされる企業だけだ。
不祥事を起 こさない企業にならなければ社会の 支持は得られない。
精神論としてで はなく、企業が現実に存続していく ための必須条件として、「企業倫理」 を組織内に根付かせる必要がある。
これを実務レベルに落とし込んで 考えるとき、ロジスティクスの重要性 が浮かび上がってくる。
とりわけ消費財メーカーにとっては、不祥事の際 に必ずといっていいほど問題になるの は「在庫」だ。
製品絡みの問題に関 して「透明性」や「公正さ」を確保 するというのは、言い換えれば原料 調達から製品配送に至る在庫管理を きちっとやることに尽きる。
ここで言 う「在庫管理」が、単なる数量管理 以上の意味を持っていることは言う までもない。
日本ハムの牛肉偽装事件でも、本 来のロジスティクスさえ機能していれ ば、初期対応は大きく変わっていた 可能性が高い。
製品の状況を瞬時に 把握できる仕組みを持っていなかっ たことが、結果として「企業統治」の 仕組みが実務レベルで機能していな い企業という烙印につながった。
ロジ スティクスの機能不全が、企業倫理 の不在と同じことを意味するように なってしまった。
あるいは一般的に理解されている ロジスティクスという概念を、もう一 度、根底から問い直す必要があるの かもしれない。
私が経験的に理解し、 日本で普及させようとしてきたロジス ティクスは、CSR経営の求める要 請にも応えられるものだ。
しかし残念 ながら、多くの日本企業の人たちに とって、ロジスティクスはそのような 機能としては理解されていない。
効率一本槍の 20 世紀型の企業経営 では、ロジスティクスはコスト削減の ための手段に過ぎなかった。
それが今 や一気通貫型のロジスティクスを実 現できているかどうかが、「企業倫理」 を現場レベルで実践できるかどうかを 決める要因になっている。
次号では、 改めてロジスティクスとCSRの関 係について考えてみたい。
71 SEPTEMBER 2006

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